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サマーウォーズの戦い方─その3 : お約束を〈あえてする〉


テキスト : 山内泰
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これまで書いてきたように、『サマーウォーズ』での細田×奥寺は、〈立派な家長〉や〈悪を倒すヒーロー〉など、血縁主義・個人主義に基づくトップダウン型ヒエラルキーの失効を指摘しつつ、その代替案としてフラットで偶発的な寄せ集めである〈コミュニティ〉を位置づけ、その可能性に最大限の期待を寄せる。もっともここで〈コミュニティ〉の可能性とは、コミュニティ内部の結束よりも、むしろ、あるコミュニティと他のコミュニティとの〈つながり〉の持つ可能性だ。新たなコミュニティにログインする上で必要なのは、まず〈パスワード〉だろう。思うに、クライマックスでケンジ君が叫ぶ「よろしくお願いしまーす!」は、婿養子の挨拶めいていながら、その実、〈コミュニティ〉にログインするため〈パスワード〉なのではないか。だからケンジ君は、「よろしくお願いしまーす!」とエンターキーを押すのだろう。


(このレビューにはネタバレが含まれています。気になる方は映画をご覧になってから、どうぞ。)
このように『サマーウォーズ』は、言うなれば、ケンジ君がナツキ先輩の〈家族〉というコミュニティにログイン=参入していく物語でもある。もっともそのコミュニティは、映画の前半と後半でその性格を異にしている。前述したように、前半のそれは、家長としてのお祖母ちゃんをトップとする血縁関係に根ざしたコミュニティであり、後半のは、パスワードを契機としてログイン/ログアウトが可能な、いわゆるweb上でのコミュニティである。

映画の前半、ナツキ先輩はケンジ君を、〈帰国子女で東大生で旧家出身〉とお祖母ちゃんに紹介する。なぜなら、そのような立派な肩書きと出自でなければお祖母ちゃんがコミュニティの一員と認めないから。親戚のおばさんたちも、何度か連れてきた男を、お祖母ちゃんにダメ出しされたという話をする。血縁主義的ヒエラルキーの構成員となるためには、その出自と能力が厳しく問われるのだ。このトップによる選別と排除は、ヒエラルキーをより強固にし、コミュニティ内部の結束を強めることになるだろう。

だが映画の中ほど、お祖母ちゃんは死ぬ。そのことによって、〈ヒエラルキー〉のトップから、コミュニティの〈タイトル〉へと、お祖母ちゃんはそのあり方を根本的に書き換えられる。映画の最後など、書き換えられたあり方の典型例だ。映画の最後はお祖母ちゃんのお葬式、葬儀の参列者は膨大な数だ。だがそれは、ミクシィで「おばあちゃんの言ったとおりだ!」コミュのメンバーが2000を超えているのとまったく同じ意味で、〈栄さん〉というタイトルの〈コミュニティ〉に多数のメンバーが集っているようなものなのである。

〈栄さん〉コミュのタイトルとして、死んだお祖母ちゃんは、とりわけ映画後半、人々を結びつけるハブとなる。前半の電話をかけまくるトップダウン型とは異なる仕方で、家族コミュニティにゆるやかなまとまりを与えている。そのことを端的に示しているのがワビスケの立ち位置である。

ワビスケは、お祖母ちゃん存命のときには、家族コミュニティに復帰できなかった。お祖母ちゃんもワビスケも、お互いに愛し認めあいながらも、排斥しあってしまうのだ。なぜか。血縁主義ヒエラルキーでは、個人間の愛情などでは解消不可能な別の論理-すなわち「世間体」-が強く機能するからである。だからヒエラルキートップのお祖母ちゃんは、ワビスケを愛していながらも、世間体の論理を優先しなければならない。人様に迷惑をかけた者は「詫びて死ね!」なのだ。(ひょっとしたら、お祖母ちゃんはこの二律背反に引き裂かれるようにして死んだのではなかろうか。)

だがお祖母ちゃん=トップ亡き後、家族コミュニティは根本的にその性格を組み替えられ、世間体という論理がまったく機能しなくなる。後に残った〈栄さん〉コミュに掲げられてるのは、美しい理念と教えだ。曰く、「みんなでご飯を食べなさい」。そしてここにいたって、ようやく、ワビスケみたく〈血縁ヒエラルキー〉から弾き出された人は、お祖母ちゃんの誕生日をパスワードとして、新たに書き換えられた〈家族コミュニティ〉に復帰=再ログインできるようになるのである。

ワビスケがコミュニティにログインしてまずやったのは、大ピンチにもかかわらず、〈あえて〉みんなでご飯を食べることであった。というのも、そんなことを〈あえてする〉のが〈栄さん〉コミュなのだから。そして家族が、そんな〈お約束をあえてする〉コミュニティになったからこそ、ワビスケは、〈あえてする〉というロールプレイを通じて、〈家族コミュニティ〉に参加できるのだ。その意味で、この食事シーンは最も感動的なハイライトとなっている。

たしかに現実に、〈家族のきずな〉はいろいろある。ちょっと見方を変えれば、例えば青山真治『サッド・ヴァケイション』がグロテスクに描き出したような、底なしの母性に引きずり込まれていく場合もある。だが、カウンセラーの信田さよ子が言うように、なんだかんだ言っても、「それでも、家族は続く」のだろう。そうである以上、重要なのは、〈家族〉という枠組みを解体することではなく、その内側から家族同士の関係性を組み替えていくことであるはずだ。その戦略として、信田は実際のカウンセリングの現場でも、家族ごっこを〈あえてする〉ことを提案するのだという。同様の見解は、例えば園子温『紀子の食卓』のような、家族を扱った優れた作品でも主題的に扱われている。『サマーウォーズ』もまた然り。

たしかにナツキ先輩の実家は長野の名家だし、サクラ大戦みたいな袴のナツキ先輩のアバターといい花札といい、『サマーウォーズ』は日本の伝統的な意匠に満ち満ちていて、極めて保守的な印象を与える。だがそれらはあくまで表面的な問題にすぎない。〈家族のつながり〉を絶対視するとか、あるいは反発して独立するとか、そういう二者択一のスタンスにはない。〈家族〉も数多のコミュニティの一つと捉えて、自由に出入り(=ログイン・ログアウト)すればいい。ただし、〈パスワード〉は忘れずに。『サマーウォーズ』は、〈家族〉とのそんなつながり方を提案している。それは、現在の家族を、その内側から組み替えようとする野心的な試みにほかならない。

『サッド・ヴァケイション』

2007年の映画。監督は青山真治。北九州と福岡を舞台に撮った『Helpless』『ユリイカ』に続く三部作の三番目。とにかく石田えりが恐ろしい。そしてこういうおばさんは、北九州あたりにめちゃくちゃいるらしい。また映画を見た人の半分くらいは、石田えりを「理想の母親」とか「かっこいい」とか言うらしい。


「それでも、家族は続く-カウンセリングの現場から」

家族に関わる問題を中心に扱うカウンセラー信田さよ子の論文。『思想地図vol.2』(NHKブックス別巻)所収。「家族は交換不能でかけがえのない存在だ」といった考え方を「幻想」だとバッサリ切り捨てつつ、しかし、なお〈家族〉の存続しうるあり方を、カウンセリングの現場から提案する。ものすごく面白いので必読です。


『紀子の食卓』

2006年の邦画。監督は園子温。機能不全に陥った家族のメンバーが、あからさまな「家族ごっこ」を通じて、各々の家族での立ち位置を再確認していくことによる悲劇と救済。あと、とにかく吉高さんが素晴らしい。


 



09/09/16 05:34 | コメント(1) | トラックバック(1) このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Buzzurlへ追加このエントリーのBuzzurlブックマーク数 livedoorクリップへ追加このエントリーのlivedoorクリップ数 Yahoo!ブックマークへ追加人が登録 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafへ追加 ニフティクリップへ追加 add to del.icio.us add to Digg add to Reddit

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