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愛情の限界で─「それでも、家族は続く」の家族戦略 |
テキスト:笹野正和
「それでも、家族は続く」(信田さよ子、『思想地図vol.2』所収)は、家族関係の構築の仕方に重要な示唆を与えるテキストだろう。それは家族の建て直しの原理を、無制限の愛情による回復にだけ求めるのではなく、徹底して冷静な契約と捉えている点で斬新なように思える。そしてその戦略は最終的に、愛情という絶対的に善とみなされる関係の中で、夫から妻へ、父母から子へ密かにふるわれる権力の暴力化を最大限抑止し、家族を健全化しようというものだ。それは親密なる愛情から政治的な契約への移行ともいえるだろう。
カウンセラーとして活動する信田の戦略の第一段階は、個人の問題を家族関係の問題(機能不全)として捉えなおすことである。たとえばアルコール依存や薬物中毒などのアディクションにおいて、従来の精神科的アプローチは当人を治療することを主たる眼目とする。それに対して信田は、カウンセリングの範囲を、アディクション本人だけでなく、そのアディクションによって困っている家族の問題にまで広げる。つまり患者の医学的な症状だけ見るのでなく、それによって困っている家族の方こそクライアント(当事者となる依頼人)だという発想である。ここでは問題の本丸と思われる本人ではなく周囲の家族がカウンセリングの対象となる。こうして一個人の問題が家族関係の中へと置き換えられることになる。
そうして精神疾患などを家族の関係の問題へ再定義しなおしたとき、とるべき方策はどう変わるか。信田は子供の家庭内暴力の例をあげる。社会で挫折して引きこもり、親を責めたり暴力をふるったりする子供に対して、精神科的治療であれば子供を病気と判断し、その治療に専念する。そして親には子供を愛情深く包み、すべてを受容するよう指示する。というのも、子供は幼児期に満たされなかった愛情を求めているから、と考えるからである。これは典型的に見られる家族の愛情による回復という構図だろう。そこでは家族は常に愛情を基盤としている。
これに対して信田は疑念を呈し、別の見方を与える。つまり親子関係を権力関係から捉えるのである。ここでは子供の病気の原因は愛情の欠如ではなく、親の度が過ぎた権力の行使への反動と捉えなおされる。信田のあげる例には、中学生の頃、いじめにあっていることに悩んでいても、父母に勉強されることを強要され、後に過呼吸や対人恐怖によって大学をやめざるをえず、実家に戻って何年も親を責める女性が出てくる。これは幼児期に行われた父母による過度の権力行使に、子供が成人するにつれ反撃を行った、と信田は解釈する。このように愛情の欠如やその回復、心のつながりといった旧来の家族に特権的な言説を使用せずに、社会における場合のように権力関係から精神疾患を解釈する見方は興味深い。ここで家族は、特権的な愛情が支配する場ではなく、権力や責任追及の場として社会化されているといえるだろう。そう見たとき、家族は様々な権力の問題を内包し、しかもそれが放置されやすい環境であるといえよう。
思えばこれまで、家族の問題を愛情の不足によって説明する、あるいは愛情によって解決しようとするという方向性が強かったように思える。それに対して現場での体験から信田は、家族の愛情という構図に隠された権力闘争を見てとるのである。
こうして権力関係に置き換えられた家族の問題に対処しようするとき、信田が提示するのは、これまた徹底的に冷静で政治的なスタンスである。つまり家族の権力関係の均衡不全が見られる時には、「愛情の供給よりも冷静な態度の交渉、夫婦間の根回しと共同歩調、条約締結にも似た子どもとの約束の履行」(p.53)などが重要となるのだ。これは愛情という無制限の受容の陰で、いつの間にか無制限に権力の暴力的なやり取りが行われるのを防ぐ手立てになる。親は子への「愛情」のために、自分が良かれと思った勉強やしつけを何が何でも押し付け、長じた子供はそれに復讐するために、親に対して「愛情」を求めて限りなく責めたり暴力行為を受け入れさせる。愛情という一見無条件に善なる概念の下で、凄惨な精神的ストレスの応酬が繰り広げられる。
そうした目もくらむ悪循環を断ち切るために、信田が取り入れるのが政治的・市民的交渉術である。絶えず責め続ける子供に対して、親はそれを無制限に受け入れるのではなく、限界を設定して子供に伝える。できることはやり、できないことはできないとはっきり言う。子供が手伝えば、ちゃんと感謝の言葉を述べる。そうした家族外の他者の間では当たり前に行うことを、信田は提案する。重要なのは「親密圏である家族においても市民社会のルールが適用されること」(p.57)なのだ。これを信田は「非権力的関係性」の構築と呼んでいる。こうした視点は、親密圏である家族の中で、密かに増大してしまう権力の行使を感知し、それを最小化するために編み出された戦略といえよう。そこでは、濃密で偏りやすい家族関係を中和するために、家族を愛情という特権的で独自のルールが支配する場と考えず、他者間の社会的ルールも適用される場と考えることが目指されている。
こうした非権力的関係性は、まさに市民社会のルールである。個々のメンバーに対して、誰かが絶対的な権力をふるうことなく、それぞれがそれぞれの人格を認められ、無制限に干渉されたりしない。この人は特別な存在だからといって、無条件の同意や服従を求めない。いわば、その人の犯すべからざる他者性を認めること、これを家族内の関係においても持ち込もう、というのが信田のメッセージの最も肝要な点といえる。そうすることで、家族の中にも個人の境界が生まれ、最も権力関係の被害に遭いやすい子供の居場所もまた守られるのだ、と信田はいう。こうした家族関係は、従来の思いやりや愛情によって子供を守るという発想とはいささか異なるが、家族の機能回復のための新たな可能性を大いに示唆している。家族の枠組みが不安定になっている今、愛情が限界を迎えたとしても、それでも家族関係を続ける一つの戦略ともいえる展望が芽生えてきたようである。
家族に関わる問題を中心に扱うカウンセラー信田さよ子の論文。『思想地図vol.2』(NHKブックス別巻)所収。同論文については、サマーウォーズのレビューでも言及されてます!
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