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『とらドラ』─コミュニケーションの桎梏と希望のはざまで─その2 |
text : 宮田智史

こうした観点を踏まえると、『とらドラ』がどんな関係のあり方を描き出そうとしていたかがみえてくる。『とらドラ』において、当初、竜二と大河がはじめたプロジェクト(互いの恋の相手を獲得すること)は、大河の計らいで竜二と実乃梨(竜二の恋の相手)の距離を接近させることに成功する。大河と北村(大河の恋の相手)の関係もしかり。さらに、その中にクラスメイトの亜美(モデル。猫を被っているが実は性格が悪い)も加わり、登場人物たちは、このグループの中で、日常を満喫するようになる。ここで象徴的なのは、竜二と大河の関係が、まるで家族のような様相を呈することだ。家事全般を得意とする世話好きの竜二が、大河の生活を全面的にサポートする。弁当を作り、部屋を掃除し、甲斐甲斐しく大河の世話を焼く竜二。その竜二の母親を交え、一緒に食事をするようになる大河。単なる男女の友情を超えて、彼らの関係は、あたかも擬似家族的な結びつきとなる。
そして、こうした関係こそが、5人の<ゆるやかな擬似共同体>を支えているのである。実乃梨も、亜美も、おそらく北村も、そんな二人を羨ましく思い、そんななんともいえない関係が土台なっているがゆえに、本来であれば複雑で、不安定な関係の中で自分の立ち位置をはっきりと把握することができる。彼らが形成した<ゆるやかな擬似共同体>にとって、竜二と大河の関係はいわば、行動の指針であり、犯してはならないものなのだ。したがって、『とらドラ』における<ゆるやかな擬似共同体>とは、竜二と大河の擬似家族的結びつきを媒介に、その関係を受け入れことではじめて成立する。そういう関係なのだ。この土台のおかげで、彼らは、<ゆるやかな擬似共同体>を楽しみ、かけがえのない時間を共に過ごすことができるようになるのである。
ただし、彼らはそのような<ゆるやかな擬似共同体>を無自覚に受け入れているわけではない。それは、各キャラクターが、ことあるごとに発する「~のために」(例、「竜二のために」etc)という言葉からも窺える。この<ゆるやかな擬似共同体>の中で、けして彼らは自己承認を求めるだけの受動的な存在ではない。相手のことを思い、自分に何ができるのかを絶えず反芻し、その結果導き出された答えを実行に移す、能動的な存在なのである。物語が進行する過程で、彼らの「~のために」という言葉は、次第に重くこだますようになる。
そのような「~のために」に基づく振る舞いが頂点に達するのが、文化祭と大河の生徒会長への殴りこみだ。文化祭の晴れの舞台に大河は疎遠な父親を誘う。しかし、父親はその求めに応じず、報われない大河を、竜二と実乃梨は一緒になって励ます(竜二と実乃梨のテンションが尋常ではない)。また北村が生徒会長に告白して振られた際に、その生徒会長は、北村の告白にきちんと向き合わなかった。意気消沈する北村。そんな北村をみて、大河は生徒会長に殴りこみをかける。その正当性はさておき、ここで重要なことは大河の殴りこみという行為が、北村の内面を慮り、今の自分が北村にできる最大限の行いの結果あったということである(もちろん大河の私怨も幾分か混じっていたかもしれないが)。
このように『とらドラ』においては、「~のために」という相手との関係を内面化した行為の連続によって、関係は維持されていく。それもこれも、竜二と大河の擬似家族的結びつきという前提が、メンバー間で守られているからだ。<やるべきこと>と<やってはいけないこと>の判断を、そうした前提に照らし合わせていれば、とりあえず<ゆるやかな擬似共同体>は、存続可能であるのだ。
しかし、物語の後半、こうした<ゆるやかな擬似共同体>は見事に瓦解していく。それはごく当然のことだ。仮に当事者同士が、従来の関係に満足していれば問題はなかった。けれども、自分が何を欲し、どんな関係を求めているかは常に流動的である。時間とともに変化するものである。しかも、三者以上の関係は多くの不安定要因を孕んでもいる。にもかかわらず、「~のために」という振る舞いが過剰に要請され、当事者は、既存の関係を維持するために自らの内面を抑圧した行動を重ねるようになのだ。
そうした抑圧を重ねるうちに、次第とキャラクターたちの内面はシリアスなトーンを帯び始める。いうまでもなく、相互の関係が際限なく反省され、関係の複雑性・流動性は高まっていく。だがそうした流動性・変化のきざしは、既存の関係を維持したいものにとっては耐え難い。したがって「~のために」を繰り返すキャラクターたちは、不透明な他者の内面をあれこれと熟考し続けることで、既存の関係を意識化・反芻する。そして、その意識が再び関係へと織り込まれ、その関係がさらに意識化・反芻の対象となる、そうしてさらにその意識が…といった具合に無限のプロセスを己に課す。つまり必死で他者を理解し、修復と関係の維持に努めようとするのだ。
ただし、こうした他者理解の無限のプロセスを経て形成された関係は、固定したものとして、当事者の内面を強く規定するようになる。日常生活のあらゆる場面で、我々は自己と他者との関係性を問い返す作業を普通に行っているだろう。だが、『とらドラ』に登場するキャラクターたち(それを最も強く体現するのは大河と実乃梨である)においては、他者理解の無限のプロセスが、関係を維持するという唯一の強迫的な目的のためにのみ作動している。それゆえに、既存の関係の枠組みは、他者とのコミュニケーションを介した後も修正されることはないのだ。したがって、とらドラ的な関係性の中では、予測できない他者の複数の局面は桎梏と化すのである。(その3へつづく)
| 『とらドラ』 ─コミュニケーションの桎梏と希望のはざまで─ その1 | [10.05.30] 別冊ドネルモvol.8《イヴの時間 劇場版》 | 別冊ドネルモ/トークライブvol.6 《湯浅政明大事件》 | 別冊ドネルモ/トークライブ 《「ヘタリア Axis Powers」みんなで世界会議 in 福岡》 | 別冊ドネルモ/トークライブ《今、私たちが生きる「コードギアス」》 | [10.03.28] 別冊ドネルモvol.6 《湯浅政明大事件》 |
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