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別冊ドネルモ 《ぼくたちの志村貴子》 TalkAround part3


パネラー:古賀琢磨、山内泰、原口唯/ファシリテータ:宮田智史
構成:原口唯、宮田智史

shimuratalk00.jpg次にお伝えするのは、後半は会場のみなさまとのトークの模様です。パネラー及びファシリテータの発言は実名、参加された方の発言は仮名で表記しております。後半の白熱したトークの一部ではありますがどうぞご覧くださいませ。カフェでのトーク後、二次会ではお酒が入って、ますます熱い志村貴子談義がかわされました。その模様をお伝えできないのが残念でなりません... それでは後半のトークをご覧ください。


宮田
では後半の部を始めさせていただきます。後半の部は先ほど皆様から書いていただいた質問カードについてパネラーと皆さま方とのトークということになっています。質問をこちらの方でいくつか選んで、それを皆さんにどういうことなのか説明していただいて、それに対してこちらが返答するという形になっています。

ディスコミュニケーションと現実世界の関係性についてご質問いただいたNさん、お願いします。

「ディスコミュニケーションと現実世界との関係について皆さんの意見を聞かせてください。こういうものが脱セカイ系なのか?」

セカイ系と言うのは先ほど山内さんが言った、だれか特別な存在から、特別な存在として自分を承認してほしいと強く思うというあり方と言っていいと思うのですけど、そういったものとどう違うのかということですかね。あとは、「ディスコミュニケーションというあり方以外に、二鳥君たちの関係性はあり得ないのでしょうか」。こちらの質問は先ほど山内さんのプレゼンでの論点への質問だと思うんですが...どうですか?

Nさん
(苦笑)

山内
だいたいそんなことですかね?

宮田
すいません、僕が全部言っちゃった...(笑)

山内
僕の話ではディスコミュニケーション抜きには二鳥君の共同体の成立が難しいとの話ですが、例えばほかにどんなあり方があるとお考えですか?

Nさん
というかですね、二鳥君たちのやり取りと俯瞰して見ているから、ディスコミュニケーションとわかるのですけど、二鳥君たち自身にはわからない。例えば先ほどのマコちゃんの花束の話では、自分たちがまさかそんなディスコミュニケーションしているなんて思っていないんじゃないかと思うんです。本人たちはコミュニケーションしていると思っている。現実社会ではコミュニケーションとっているようでいて、誰か違う人から見るとディスコミュニケーションになっている。

二鳥君たちみたいな女の子になりたい男の子だとか、男の子になりたい女の子っていう、社会的にはまだかなりマイノリティとして扱われているような言及があると思うのですけど、そこらへん...えっと、何話してるかわかんなくなってきたんですけど...どうすればそこらへんの関係は良くなるというか...

山内
どうすればよくなるかはよくわかりません(笑)。僕が話をしたのは、実際をどうこうするって言うよりも、現実に対するモノの見方を、視点を変えて見れば、嫌なこともいいことに思えるんじゃないかっていう話で、志村さんの作品はそういう「当事者にとっては嫌な気持になっていることになっていることでも、傍から見ればそうじゃないことも案外あるんだよ」って話になっているように僕には思えるということです。そういう風に見てみれば、いろんなことがポジティヴに見えてくるんじゃないかっていう話なんですよね。

ディスコミュニケーション抜きには共同体の成立が難しいって言うのではなくて、「意識的にこのグループを仲良くやっていこうって決めて、やっていく」っていうのが、さっき話したうちの「みんなとゆるやかにコミュニケーションしていく」(フラワー・オブ・ライフ)っていう話なんですが、実際にはそれはなかなか難しい。そうじゃなくても実際に案外、みんなでゆるやかにやってくっていう状態は結構あって、そういうことを傍からみると、ディスコミュニケーションみたいな関係でやっているというように見えるんじゃないかなっていうことなんですよ

原口
そんな話だったのですか?ストーリーとして志村さんの漫画を読んでいるときは、ディスコミュニケーションもなんだかうまくいっていて、なんて素敵な世界なのだろうと思う。じゃあ私の世界もこの世界のように読み換えて、私の世界を素敵にしようとしても、漫画のようには自分の世界はディスコミュニケーションかどうかわからないので参考にできないという話をNさんはされたのでは?

宮田
さっきの話では、千葉さんがマコちゃんにお芝居の時に花束をあげたシーンがディスコミュニケーションの例で挙げられていました。マコちゃんは嬉しかったけれど、千葉さんは何かをしてあげたいと思って花束をあげたわけじゃない。それを傍から見ている僕らにはディスコミュニケーション的な構図がなりたっていて、それがマコちゃんと千葉さんの関係性を作ったように見えるかもしれないけれど、彼ら自身にとってディスコミュニケーション的なあり方がどれだけ意味があったかは分からないのでは。そういうことをNさんは言いたいと思うのですね。

だから山内さん的な読みは、漫画の登場人物にとってはどう意味をなしているかはわからないし、そこから翻して現実の僕らのコミュニケーションの中で、どういう意味があるのでしょうか?僕らがされたことに対して、「ははあ、あれば別の解釈ではこう見えるのではないか?」なんて簡単に思えないじゃないですか。

山内
いや、だから、それを、「そう思おう」って話なんですよ(笑)

一同
(笑)

山内
確かに我々が実際に登場人物だとすると、構図がどうなっているかわかんないからきついわけです。でも僕が一番言いたいことは、志村さんの漫画を読んでいると「実は自分たちの生活も傍から見るとこういうことがあるのではないか?」という「気がしてくる」ということなんですよ。

これは危ない考え方なんだけれども、そう考えると、「自分の生活もどこかから誰かが見ていて、自分はこれだけすれ違いまくりだけど、なんかそれはプラスのことになっているというように誰かが見てくれているんじゃないか?」というような支えを持って今をやっていける、みたいな(笑)。そんな勇気が湧いてくるよね、って。僕は湧いてきますっていう話です(笑)

宮田
みなさん、異論反論がある場合はビシバシと言っていただいて結構です(笑)

Nさん
今の、俯瞰して見るというような話を聞いていて思ったんですけど、実際に漫画を読んでる読者だけじゃなくて、私はこの作品のなかには一貫して登場人物を俯瞰するキャラクターがいるような気がする。ディスコミュニケーションしているAさんとBさんのどっちともの気持ちがわかっている立場。そしてそれは毎回ガラガラと変わっていっているように見える。あるときはAさんの立場がC さんになりながら、どっちともの辛い気持ちとか、ずれてるけど、勘違いしてるけど、でも言わないでおこうという気持ちを抱いたりとか、でもなんか言わないでおこうとできずにいらないことをしてしまったりとかっていう立場。どっちともわかるっていう人がいるから、志村さんの作品はなんか切ないじゃないかなあ。

Mさん
具体的に誰ですか?『放浪息子』で言うと。

Nさん
(本を指して)まだここまでしか読んでないんですけど...

一同
(微笑み)

Nさん
でもあるときは二鳥君のお姉ちゃんがそういう立場だったり、マコちゃんがそうだったりすることもあるのかな。ユキくんがわかっているときがあるような。状況を、読者と同じようにちょっと俯瞰して見ているような立場にいる人が必ずいるように私は感じていたんです。

Mさん
自分の感想では、マコちゃんがそれぞれの気持ちを分かっているんじゃないかと。二鳥君の気持ちも千葉さんの気持ちも高槻くんの気持ちも、全員の気持ちをつなげているのはマコちゃんじゃないかな。男の気持ちもわかるし、女の気持ちもわかるというか。共同体というか、仲間の中で、一つ上から見ている立場。

宮田
その状況を把握しているというか、つなげるというか。

Mさん
お互いの気持ちをつなげていくというか。多分彼がいないともう...

古賀
バラバラ(笑)

Mさん
そう、バラバラ(笑)

古賀
ディスコミュニケーションを観察しているやつがいて、うまい具合にそれをコントロールしているプレイヤーがいるという解釈をしてしまうと、マコちゃんはそれとはちょっと違いますよね。

Mさん
マコちゃんはプレイヤーだけど、そういう意味のプレイヤーではなくて。全員の気持ちが行き来できるように、全員の気持ちを共有できるっていうか。作家のその次の位の高い視点を持っているんじゃないかなあ。とりあえずマコちゃんは、仲良しグループを維持しようっていう、一生懸命になってる。

山内
マコちゃんは、ほんとにそうですよね。高槻さんなんか、自分のことしか考えてない!

一同
(笑)

Mさん
基本的に、全員(笑)。他人のことなんか全然考えてない。

原口
マコちゃん切ないですよね。彼がそういう立ち位置にならざるを得ないのは二鳥君みたいに可愛いキャラじゃないからだと思うんですよ。キチンと女性になりえる男性でもないし、かといって普通の男の子のふりをしてそこの集団に戻っていくこともできない設定になっているからかなと思うと、切ない。

Mさん
そうですかね?スキー場に行った時のシーンでは、普通の男の子とでも仲良くしてましたよ。

宮田
スキー場のシーンでは、マコちゃんは、ほかの男子生徒からからかわれてもちゃんと関係を取りえる人物として描写されていましたね。

山内さんの論点では、ディスコミュニケーション的な状況が、ある種希望のように見えてしまう、見えるっていうことをおっしゃられたけれども、Mさんはディスコミュニケーション的なあり方だけでなくて、マコちゃんのような存在がいて、彼がその中で関係を維持してくれているからこそ、そういうディスコミュニケーションが何か希望のように見えるのだという話をされているのでは?

Mさん
ささちゃんみたいに、わー!っとなっちゃうわけでもなく、バランスを取っているというか。マコちゃんはそのような存在ですよね。

一同
なるほどー。

そのほかの話題...

◆志村貴子作品にみられる父性の欠如

初期作品「ラブバズ」から「青い花」「放浪息子」ともに「父親」の存在が希薄に描写されていることについての指摘。

◆山内的志村貴子論への疑問「すべてのドラマはディスコミュニケーションに起因しているのではないか?」

山内さんの論点では志村貴子の作品のディスコミュニケーションのありかたに特徴があるということが語られた。しかし月9でも大河ドラマでもほかの漫画でも、どんな物語にもディスコミュニケーションはあって、それは物語全体ではいつでも調和を保っている。だとすれば真に志村貴子的なものはほかにあるんじゃないだろうか?という指摘。

◆志村貴子がセクシャルマイノリティを描くのはなぜだろう?

作者本人が個人的にセクシャルマイノリティの問題を身近に感じる経験などがあったんだろうか?という問いかけ。

などなどです。

会場のみなさんからの積極的な発言のおかげで、第一回の別冊ドネルモは、非常に盛り上がり、充実したイベントになったと思います。福岡で、しかもこんなに多くの志村さんファンの方と語り合えるなんて本当に夢のような時間でした。

イベントに参加してくださったみなさん、及び協力して頂いたトラベルカフェ様、太田出版様、そして志村貴子さん、本当にありがとうございました。

別冊ドネルモは、アートやサブカル、特にマンガやアニメについて、開かれた場所で語り合う、そのような〈場〉をこれからもどんどんご提案していきます。何か気になる。ちょっと話してみたい。話だけなら聞いてみたいかも。 ...そんな気持ちがあればオッケーです!

どうぞ気軽にご参加ください。別冊ドネルモスタッフ一同、心よりお待ちしております。それでは次回。


志村貴子

 しむらたかこ。1973年10月23日生まれ。神奈川県出身。好きな場所は近所。

経歴:1997年に『ぼくは、おんなのこ』(『コミックビーム』でデビュー。その後同誌で初連載『敷居の住人』を発表し、じわじわと人気が高まってくる。 2002年、『放浪息子』(『コミックビーム』)の連載スタート。2004年には、『青い花』が『エロティクス・エフ』(太田出版)で連載が始まる。 2009年7月から同作はアニメが放映されている。近年、その動向が注目されている漫画家の一人。

作風:少年少女の揺れ動く心や女性同士 の友愛関係を、淡々とした語り口で繊細に捉えた作風が男女を問わず人気を得ている。独特のゆったりとしたテンポと、登場人物の思考の動きに沿ってストー リーの流れを切り替える手法を用いるため、筋がわかりにくいと評されることもあった。だが、『青い花』以降の作品では、テンポを損なわない程度に丁寧な説 明的描写を挟むようになり、読みやすくなっている。(wikipedia調べ)







 




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