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美術作家・岡田一郎インタビュー part1


インタビュイー : 岡田一郎
インタビュアー・構成 : 安河内宏法
(2009年11月23日@カフェ・ベローチェ 烏丸蛸薬師店)

関西を中心に活動をされている美術作家・岡田一郎(おかだいちろう)さん。岡田さんの作品は、なんだか変です。なんの変哲もない音を集めてみたり、扇風機 を美術館の展示ケースの中に入れてみたり・・・。このインタビューでは、そんな岡田さんのこれまでの活動を振り返ってみたいと思います!

そもそも、岡田さんってなぜ美術作家になろうと思ったのですか?

子どもの頃からアーティストになりたいと思っていたわけじゃないんです。子どもの頃は、実家が奈良だったこともあってお寺に行って仏像とか御堂とかを見てました。そうするうちに仏教美術に関心を持つようになって、そのあと美学に関心を持つようになって、気づいたら美大を受験してたんです。特に何かのきっかけがあったわけではなくて、高校生2年のときに美術作家なる職業があることを親の知り合いから聞いて、なんだか面白そうだなと思って画塾の夏期講習へ通いだしたんですね。その画塾が楽しくて結局受験することにしたんですよ。その時から現在に至るまでずっと、流れに身を任せて生きてきたって感じです。気が付いたらここにいた、と。

とはいえ大学受験では彫刻科を選んだわけで・・・。なぜ彫刻科だったのですか?仏像への関心があったから?

いや、仏像は関係ないですよ。お寺に行ってたのも、どちらかと言えば、仏像よりも御堂の空間が好きでしたし。まぁ、単純に立体物が好きだったんですよ。最初は、デザインを勉強しようと思ってたんですね。だって、食べていけそうじゃないですか。でも考えて行くうちに、やっぱり自分が好きなことをしてみようと思ったんですよ。で、彫刻科に行きました。

なるほど。で、京都市立芸術大学の彫刻科に入学することになったわけですね。京都市立芸術大学の彫刻科はどんなところでしたか?

特殊なところでしたね。いわゆる彫刻らしい彫刻を作っている人も少ないですし。美術史の流れで言えば、「もの派」の流れが強いところです。学生はとりあえずほったらかし、みたいな。

実は、入学する前までは、どんな先生がいるのかも知りませんでした。松井紫朗先生という先生がいらっしゃるのですが、その方が龍池小学校という、今では京都国際マンガミュージアムとなっている小学校で開催されていた展覧会に出品されていたんですよ。で、僕はたまたまそれを見に行っててショックを受けたんですが、その時はまだ、松井先生が彫刻科の先生だとは知りませんでした。ああこの人は彫刻科の先生だったのか、と。そんな感じでした。

その時の松井先生の作品はどういうものだったのですか?

言葉で説明するのは難しいのですが、地下から3階まで続く階段の内側に幅10cm足らずの吹抜け状のすきまがあって、そこに雨どいのようなものでできた縦長の円環が収まっているものでした。その作品が面白いなと思ったのは、目で見て全貌を把握出来ずに、頭の中ではじめて作品が成立するところです。そして松井先生の作品によって、螺旋状の階段の中心に新たな円環状の空間の流れが出来ていたように思います。僕もパイプを使って空間をつなげる作品を作ったりもしていますので、実は、松井先生の影響も大きいかもしれません。

あと、影響という点では、野村仁先生の影響も大きいでしょうね。野村先生は、いわゆる彫刻らしい素材に縛られていなくて、例えば本物の隕石や化石といった素材を使ったりして、素材の持つ意味を取り込んだ作品を作ったりされています。そういう姿勢は大きく影響を受けていると思います。

しかし個人的には、岡田さんの作品と言えば、音を使っているという印象がありますよ。

確かに音を使う作品は多いですね。これまで作った作品を振り返ってみて、僕の原点と言えるのは、97年に作った《Moving Air》という作品ですね。それまではフォルムのほうに意識がいっていて、美しい立体物を作ろうとしていたのですが、この《Moving Air》を作った以降、何かが変わりました。いまから12年前のことで、僕はまだ21歳になったばかりでした。もっとも、《Moving Air》を作っていた時は、自分が何を作っているのか、はっきりとわかってはいませんでしたけど。


岡田一郎

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1976年、奈良生まれ。京都市立芸術大学にて彫刻を専攻。2007年、同大学博士(後期)課程卒業。

1997年に換気扇の音を集めた《MOVING Air》を制作したのを機に、ありふれた日常環境から、新たな認識を導き出す作品を制作。《untitled》(京都・アートスペース、1999年)、《1926.9.1》 (セゾンアートプログラム・アートイング2001出品作品、東京・旧新宿区立牛込原町小学校、2001年)を通して、展示場所の場所性を取り込んだ作品を作り始め、《横断する眺望》京都・細見美術館、2002年)、《漂白される意識》(京都文化博物館、2003年)《connect》(大阪・アートコートギャラリー、2003年)等を発表。

《empty landscape #2》(ロスアンジェルス・UCLA、2003年)、《no where (surface)》(京都・アートスペース虹、2004年)、《crust》(京都市立芸術大学、2006年)では、新興住宅地をモチーフに空地の土砂を用いた作品を発表。2004年には京都芸術センターで、『connect with 60's』という60年代の文化をテーマにした展覧会の展示プロデュースも手掛ける。

これらと並行して《MOVING AIR》は《MOVING AIR '03》(大阪・saiギャラリー、2003年)、《from inside the circle》(大阪・saiギャラリー、2005年)、《MOVING AIR '08》(大阪・PANTALOON、2008年)として制作を続け、《MOVING AIR '08》発表時には、展覧会を「air-condition」と銘打って、《MOVING AIR》を通して感じ取ったイメージをサウンドインスタレーションや画像処理した写真なども用いて展示。

この時より、画像処理した写真も作品に用い始め、2009年の京都芸術センターでの展覧会『ある風景の中に』にも《exchanged landscape》を発表した。


もの派

60年代後半から70年代前半に隆盛した日本の美術動向。明確な共通理念を持った党派的なグループだったわけではなく、「もの派」という呼称も、そもそもは蔑称として付けられたものだった。その作品の特徴は未加工の自然物を用いることにあり、作家は「もの」を素材に作品を創造するのではなしに、簡単な操作を加えることで、「もの」そのもの中から何かを引き出そうとしたり、「もの」の新たな在り様を露わにさせたりする。代表的な作家としては、関根伸夫、李禹煥、吉田克朗、小清水漸、榎倉康二、菅木志雄などが挙げられる。

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《Moving Air》

《Moving Air》はどういうきっかけで生まれたのですか?

これはね、授業の課題として作ったものなんです。色々なものを集めてカタログを作る授業でした。その授業で先生が、ベッヒャー夫妻の貯水タンクの写真を延々とゆっくり見せてくれたんですよ。それでいろいろな貯水タンクをずーっと見てみると、ひとつひとつの貯水タンクの個性が消えて行って、貯水タンクの原型がぼんやりと見えてきた気がしました。そしてその授業では、ベッヒャーと同じように何かを集めて提示しなさい、と課題が出ました。それで僕は、換気扇の音を集めることにしました。

なぜ換気扇の音だったのですか?

その時、細野晴臣の『フィルハーモニー』ってアルバムの中に入っている「AIR-CONDITION」って曲が好きだったんですよ。細野さんは人工的にファンの音を作って、きれいなドローンミュージックを作ってたんですよ。それを聞いているうちに、ひょっとすると換気扇の音を集めるときれいな音楽が出来るかもしれない、と思って集めてみました。もともと僕の中に音楽へのあこがれがあって、僕なりのやり方で音楽へとアプローチ出来ないかと思っていました。そういうわけで、換気扇の音を60種類集めてみました。録音したのは、住んでいるマンションの換気扇だったり、大学近くのコンビニの換気扇だったり、ですね。

録音してみてどうでしたか?

録音行為自体は、だんだんしんどくなってきました。町中でマイク片手に音を録音してる姿なんて、明らかに不審者じゃないですか。それに録音出来る場所も案外少なかったですし。ただ、録音したものを編集している時に不思議な感覚が生まれてきました。当時はMDで録音していたので家に帰ってから、そのMDのトラック名をつけていたんですよ。そしたら頭の中に別のイメージがぶわーっと湧いてきたんです。あたかも、自分の録音した場所を俯瞰して眺めていて、その空間がうねっているかのようなイメージです。自分の作った作品から、自分が意図していなかったイメージを与えられるというのは、それが最初の体験で、認識というか人生観が変ってしまうほどの経験でしたね。だから、この作品は僕の原点だと言えますね。

《Moving Air》は、ディスプレイに録音された場所が書いてあるわけですから、一応はどこで録音されたか分かるように作られていますよね。だけど実際に音を聞いただけでは、それがどこかは分からないのですよね?

そうですね。音を聞いて「ああ、これはあそこのコンビニの音だな」と気づく人はまずいないでしょう。この作品を作ったときに感じたのは、僕たちの身の回りの風景には色々な要素がありますが、その中からいくつかの要素だけを抜き出して、身の回りの風景を捉えなおしてみれば、別のものとして見えてくるんじゃないか、ってことです。

僕の中に、具体的な場所だったり個人的な経験だったりを元にしながら、世界へとアプローチしたいという欲求があるんですよ。フランスの民俗学者のレヴィ=ストロースという人が「神話」について、偶然獲得された雑多でまとまりのない出来事のストックを組み合わせて、世界の構造を表現しようとするものだって言ってるんですけど、僕の欲求はこれに近いものだと思います。その意味で僕は、現代社会の中にいて、太古の人間の目で世界と向き合っているのかなと思ったりもします。

それはまさにベッヒャー的なアプローチだと思います。ただベッヒャーと違うのは、岡田さんは確かに換気扇の音を録音しているのだけれど、換気扇以外の音もノイズとして入っているところですね。聞いていると場所の情景が浮かんでくる気がします。

ノイズが入っていないものも結構あるんですが、技術的な問題として、人の声や車の出す騒音、「カレー店 インディアン」とかだと、寸胴のフタをする音とかも入っています。こういうノイズは場所を想像するヒントとして、とても面白いんですが、意図的に周囲の環境音を取り込もうとすると、換気扇の印象がボケて収拾がつかなくなるんです。だから、極力環境音が入らないように録音をして、それでもどうしても入ってしまうノイズを採用するというふうにルールは作っています。そうすることで、わざとらしくなく換気扇の音の背景として、環境音を録音できるんです。録音したのはもう12年前ですから木屋町の「名曲喫茶みゅーず」とか、今ではもうなくなってしまった場所もありますね。


ベッヒャー夫妻

おそらく現代美術作家の中で最も名の知れた夫婦(そもそも夫婦で協働して作品を作っている人たちはあんまりいないけど)。ふたりは1959年から、給水塔、冷却塔、溶鉱炉、車庫、鉱山の発掘塔といった建築物の撮影をはじめる。細部まで精密に撮影した写真を被写体の機能や構造ごとに「類型学(タイポロジー)」的に組み合わせて作品とした。1970年代後半より、ベッヒャー夫妻は大学の教壇に立ち、トーマス・ルフ、トーマス・シュトゥルート、アンドレアス・グルスキーなど、いわゆる「ベッヒャー派」として国際的に評価を受けている写真家たちを育てる。

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《untitled》

岡田さんは、他の作品でも換気扇を使っていましたよね。藤本由紀夫さんとのコラボレーション作品とか。

これはね、アートスペース虹という京都のギャラリーでやった展覧会で、入口のドアに換気扇を取り付けたんです。ギャラリーのオーナーと打ち合わせをしている時にたまたま換気扇がギャラリーの中にあることに気づいたんですよ。で、打ち合わせ中に換気扇を動かしてみると、外の空間が入ってくるイメージが湧いたんですよ。外が中に入ってくる、と思った。それで、外を中に入れ込むような作品を作ろうと思って、ギャラリーのガラスに穴をあけて換気扇をはめ込みました。

ギャラリーの奥にある換気扇を回すと、入口に取り付けた換気扇が動く。ドアを開けるとそこから空気が流れるので、入口の換気扇は止まってしまうんですが、閉めると、じわーっと動き出すんですよ。その動きを見ていると、空間につながりが出てきたような気がするんですよ。何もないギャラリー空間の中に、粘りのような質感をもった空気が充ち満ちているような感覚がしましたね。

それは抽象化の極みのような作品ですね。

いや、僕の中ではあまり抽象的ではないです。三条通りに面したギャラリー周辺の空気を扱っているという意識が強いです。実際に会場にいたところで空気の動きを感じることはないんですよ。だけど入口換気扇を見ていると、確かに空気が動いていることが実感できる。その意味では分かりやすいし、具体的な作品です。そもそも僕たちの周りには空気がたくさんあるじゃないですか。

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《1926.9.1》

《Moving Air》では、換気扇の音という抽象的な素材によってある場所の情景を思い出させ、アートスペース虹での作品では空気の流れを可視化した。岡田さんの中に場所とか空間へのこだわりがあるように思えます。

そうですね。場所へのこだわりと言っても色々あるんですけど、例えば、その場所が持っている場所性と関わる作品は、これまでいくつか作っていますね。たとえば、2001年に東京の旧牛込原町小学校で開催された展覧会ために作った作品《1926.9.1》では、小学校の歴史をモチーフにしています。この小学校は大正15年に作られたものだったんですが、内装はリフォームしていたので、大正時代の「匂い」を感じることはできませんでした。それで、この場所に対してどういう風な切り口で作品を作ろうかと探している時に、地下に取り残されたかのような空間があることに気づいたんです。そもそも僕は、自分の中のイメージを外に出すことによって作品を作るんじゃなくて、その場所から受けるイメージをもとに作品を作るんですよ。で、小学校に向き合った時に、じきに取り壊されてしまうこととなるこの小学校のために何か出来ることないかな、と思ったんですよ。それで、忘れ去られて物置みたいになっている地下の空間を、外の空間までつなげてやろう、と。過去と現在とを結び付けようとする感じですね。

これはさっき仰っていた松井先生の作品に近いですよね。ただ松井先生の作品とは違って、やっぱり岡田さんの作品は、より具体的に場所と結びついている感じがします。

そうですね。場所性と関わる作品で言えば、2003年に大阪のアートコートギャラリーで作った作品《connect》という作品もそうですね。これは、ギャラリーのすぐそばを流れる大川という川の水を加湿器に入れて、水蒸気にした作品です。加湿器3台を設置して、ギャラリーの入り口部分を水蒸気で満たしたんですよ。


藤本由紀夫

世界的に活躍する美術作家。「サウンド・アーティスト」としてくくられることが多く、実際に音をモチーフに使った作品も多い。たとえば70年代からエレクトロニクスを利用したパフォーマンスやインスタレーションを行い、80年代半ばからはオルゴールなどを用いたサウンド・オブジェを制作。西脇市岡之山美術館アトリエにて、11月15日から12月5日まで『藤本由紀夫展─時空間との対峙─』を開催。

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《connect》

すごく臭そうです・・・。

いやー、臭かったですよ。その点は不評でしたね。この時はね、川の水を空間化したかったんですよ。もちろん作品に使った大川という川は、都市部にある一般的な川で、決してきれいではないです。ただ、川は、源流から水が流れてきて、いろんな場所を流れてきてるじゃないですか。で、流れてくる間に、その場所その場所の性質を溶かしこんで流れてきているだろう、と。そのことは見ていても分からないのだけど、水蒸気にして空間を満たせば、体で体感できるかもしれない、と思いました。

空間って、目で見えるものじゃないし、耳だけで分かるものでもない。そうではなくて、五感で感じるものだと思うんですよ。目とか耳とかを超えた五感全体の感覚でしか体験できないものだと思うんです。

ひょっとしたら僕が作品を作る時のきっかけは、「欲求不満」なのかもしれない。場所への「欲求不満」です。ある場所へ行ってその場所となんとか向き合いたいと思っているんだけど、向き合うことが出来ない。場所性を感じたいと思っているんだけど感じることが出来ない。そんな不満を、作品を作ることで解消しようとしている感じですね。作品を作りながら、空間と向き合えたと思える瞬間を探っているんですよ。

(part2に続きます。お楽しみに!)


使用画像について

サイトに掲載されている作品画像は、岡田一郎さんご本人からいただきました。どうもありがとうございます!

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09/12/05 04:42 | コメント(0) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Buzzurlへ追加このエントリーのBuzzurlブックマーク数 livedoorクリップへ追加このエントリーのlivedoorクリップ数 Yahoo!ブックマークへ追加人が登録 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafへ追加 ニフティクリップへ追加 add to del.icio.us add to Digg add to Reddit

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