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イメージとしての歴史、あるいは反実仮想について-安室奈美恵「Dr.」【ドネルモアーカイブ】 |
text:namie love

安室奈美恵の新作、「Dr.」のPVを見ていろいろと考えさせられた。「Dr.」のPVは全編アニメーション。監督は水崎淳平、制作は神風動画をはじめとしたアニメ業界のトップクリエーターによってなされている。
西暦3000年、戦争と環境破壊により人類がとっくに死滅した地球において、「ドクター」と呼ばれるロボットがただ「一人」生き残っている。ドクターは「こうではなかったはずの」地球を求めて、一人の少女のイメージを自分の分身として過去の時代へと送る。かりにその少女のイメージをここでnamieと呼ぶことにしよう。namieは、破壊された地球を緑化する任務を帯びている。しかし彼女が送り出された時代は、すでにもう手遅れの状態にあった。そこでふたたびドクターは、彼女をより以前の時代へともう一度、送り直すのである。しかしそこで彼女は核戦争に巻き込まれて壊滅的な打撃を受けてしまう。
ドクターはなぜ、実体的なアンドロイドではなくあえてイメージを送ったのであろうか。それは過去の時代、つまり歴史的存在とはそれ自身イメージに他ならないからである。私たちはときに後悔して、「あのときああしておけば、いまはこうではなかったのに」と、仮定法過去完了(反実仮想)のかたちで過去を想起することがある。そのとき過去は一つのイメージと化し、あるいは有り得たかもしれぬ可能性によって仮想的に書き換えられうるものとなる。そしてその書き換えの可能性を賭けて、namieは実際に生起したイメージとしての過去と戦うのだ。現在を変革しようと願う者は、まずもって過去を主戦場としなければならない。
過去に生じたことは取り返しが利かない、そして現在はその過去に規定されるしかない、だからもう、これからも何一つ変わることはないし、異なった世界が到来することはあり得ない。そういう我々の、石のように硬化した時間的想像力をnamieは突き崩そうと願っている。現状においてなお希望を手放さず、異なった未来を展望しようとすれば、過去を自分の味方につける必要がある。そのためには、現実に生起した出来事のラインが踏みつぶした、現実には起こりえなかった、だがありえたかもしれないもう一つの出来事のシリーズを、虚構として救出しなくてはならない。しかし「現実」のイメージの威力は依然として圧倒的である。namieはその戦いに敗れ続ける。
異なったイメージを抱こうとする希望が最終的に粉砕されようとしたとき、ドクターがその断末魔に取った手段は、非常ボタンを押して、彼女のイメージを、そのイメージのもととなった現実の少女、地球がまだ健康であったころの海岸の少女に返還するというものであった。想像するに、おそらく、ドクターを形づくっているプログラムはその現実の少女の記憶のコピーにもとづいており、それゆえにドクターは、自らのプログラムを具象的なイメージに仮託して過去に送ったのだと考えられる。というのも、namieは過去に向かうトンネルのなかで、そのおぼろげな海岸の風景につねに導かれるからだ。それは自らの原風景とでもいうべきものである。ドクターは、namieの眼を通じて、そうした自分の起源へと帰還しようとする。
namieは、沖縄を彷彿とさせる青い海の上を喜びにあふれて飛行し、海岸の少女に自らを与える。そしてそのとき、時間の準拠点が西暦3000年の時点から、namieがいまだ現実の幼き少女だったころの「いま」に移るのである。海岸の少女は、namieの経験と記憶を、つまりこれから人類が経験するであろう陰鬱なイメージのすべてを意識下に転写される。彼女はそれによって、地球の未来についての一つの想像力を得るであろう。過去に起こった現実の全てが未来のイメージへと転化される。結局は過去を書き換えることに失敗したドクターとnamieが、その破滅の間際において、その希望をつなぐ最後の可能性こそ、それだったのだ。その帰還は、そうなりはしないもう一つの未来へと彼女をきっと導くにちがいない、とドクターは願ったのだ。そういう意味でそれは未来からの遺産であった。
我々は未来を予測する。このまま行けばこうなってしまうであろうという未来を思い描く。そういう未来的想像力があるからこそ、そうでない未来を展望し、そのためにいま行動することもできるのである。そしてその想像力は、そうではなかったかもしれない過去を思い描く歴史的想像力と手と取り結ぶことができる。そうした歴史と時間をめぐるイメージの力、世代を超えた希望の握手の可能性を、この作品は表現したかったのであろう。恐るべきである。
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なるほどね。ずいぶん思い入れたっぷりで、ちょっと深読みな気もするけど、好きなように読めばいいと思うよ。深読みついでに言えば、Dr.は小室哲哉だと思うんだよね。だって彼が操作するのは鍵盤で、それを弾くと、namieが覚醒して踊るんだよ。沖縄サミットでの平和を願ったパフォーマンスを思い出すよ。絵柄は松本零士、内容は「エヴァ」のような感じ(namieは綾波)で、ちょっと「もののけ姫」も入っていて、年齢層高めを狙ってる。10代向きじゃない。海岸の少女だけど、そこには安室が飼っている犬が出てくる。明らかに少女時代のご本人を示唆してる。様々なメタファーにあふれてるよ。
この曲は小室へのオマージュ、もしくは応援歌だと思うんだよ。もうほんとは必要でも何でもないんだけど、それでもいまでもあなたを必要としています、私を導いて下さいっていう、そういうオマージュ。悲しくって涙が出てくるよ。
コメントありがとうございます。メタファーついでに言えば、過去においてnamieを襲う「現実」のイメージは、どれもファルス(男根)を想起させます。そういう男性の攻撃・破壊衝動に対するフェミニズム的な抵抗も感じてしまいます。思想的にも、年齢層高めですね。80年代です。
現実とは違った世界をイメージする女性のあり方を、「現実」を形成する男性の力が徹底的に押さえ込むわけです。二度目の世界(西暦2200年)におけるとてつもない破壊光線は、「現実」を脅かし、それを書き換えようとするいかなる抵抗も絶対に許さないという、男性の強迫的な衝動を連想させます。
それから松本零士の影響という意味では、namieはメーテルに似ていますよね。ドクタークロノスは完全に機械伯爵だし、波動砲もありました。でも、少女に希望を託すというのは駿夫さんでしょうかね。