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誰がために戦う?-『コードギアス 反逆のルルーシュ』の驚くべき選択


 

テキスト:笹野正和

自分の身の周りの平和な日常を守るため、平和を乱す外の世界の敵と戦う。この構図は、少年漫画のヒーローものでも、ガンダムのようなSF戦記ものでも、よく見られる。しかし、相手をする敵の力が次第に強大になり、戦いが過酷になるほど、当初の小さな平和は戦いの巨大さに飲み込まれ、失われていく。その代わり、物語は国や世界をかけた戦いへとスケールアップし、主人公達の使命も国や世界の存亡をかけたものへと移り変わっていく。

 

もちろん小さな平和を守るために、大きな戦いを戦うということもある。しかし、大きな戦いに立つ主人公は、戦いが続く間は、平和な日常を生きられない。そして、小さな平和は戦いが起こるたびに、戦いの原理に飲み込まれ、かき消される。その意味で、小さな平和と大きな戦いが両立することは、想像以上に難しいだろう。

しかし、そうした大きな戦いの巨大で逃れがたい流れの中に、あくまで小さな平和の次元を差し込もうとするのが、『コードギアス 反逆のルルーシュ』(監督:谷口悟朗、制作:サンライズ)だろう。それは小さな平和(学園生活)を守る戦いが巨大化し、大きな戦いに勝つために小さな平和を捨てる選択をいくども迫られながら、全力で小さな平和を維持しようとする、主人公・ルルーシュの執念の物語ともいえる。その意味で『コードギアス』は、小さな平和と大きな戦いが同一の次元で共存し、絶妙のバランスでせめぎ合う奇跡的な作品なのである。

しかし、とある事件に巻き込まれ、口封じのため、ブリタニア軍に殺されかけたところを、他者にどんな命令も実行させる能力(「死ね」でもよい)を謎の少女から与えられて、生き延びる。そして、その能力(ギアス)を駆使して、母を殺し、妹・ナナリーの未来も脅かすブリタニア帝国と父である皇帝に復讐し、自分達にとって真に平和で安全な国を作ろうと、仮面の男「ゼロ」と名乗り、独立ゲリラと共に武力闘争を開始する。


ガンダム

『機動戦士ガンダム』(1979)から現在まで続く、SFロボットアニメシリーズの代表的作品。「リアル」な戦闘描写や、熾烈で容赦のないストーリー展開、多数の魅力的キャラクターやメカ設定等で、今も根強い人気を誇っている。


『コードギアス 反逆のルルーシュ』

2006年10月より放送されたTVアニメ。SFロボットアニメの流れをくみ、元ブリタニア帝国皇子・ルルーシュの帝国に対する反乱と活躍を描いて、評価を得た。2008年4月から9月まで第2期も放送された。


谷口悟朗

日本のアニメーション監督・プロデューサー。『無限のリヴァイアス』『プラネテス』等の監督で、高い評価を得た。独特の世界観やハイクオリティな映像に、根強い人気がある。


サンライズ

日本のアニメーション制作会社。『ガンダム』シリーズなどのロボットアニメで特に有名だが、近年では『ケロロ軍曹』などのコメディ作品でも知られている。

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こうしてルルーシュは、地方の一ゲリラ組織から、残存する旧日本軍、そして独立を画策する旧日本国の有力者にまで戦力を増やしていく。それは最初から世界の3分の1を支配するブリタニアに対抗するために避けて通れない道である。そして通常の戦記もの(「ガンダム」など)では、この強大化する過程で、学園でのささやかで平和な生活は失われていくだろう。ルルーシュは学生の安穏とした生活を失い、友が敵にもなる過酷な戦場の日々に身をおくことになるだろう。そのとき、当初の目的だった、身の回りの小さな平和は、否応なく、より大きな組織・社会の存亡へと取って代わられる。

そうした小さな平和を押し潰す大きな戦いに対して、かつて『新世紀エヴァンゲリオン』の碇シンジは、明確な拒否反応を示した。嫌々ながらも様々な理由で戦っていた彼は、クラスメイトにも容赦なく自分の戦いの爪が降りかかったのを見て、戦うことを拒絶する。大人達の大きな戦いに巻き込まれて、自分で小さな平和を傷つけるくらいなら、すべてから逃げた方が良いと言うように、少年は戦いに背を向けた。結局は戦う場に戻らざるを得なかったが、当時の青少年にとって、それは新しい選択に見えただろう。

そしてその後の一つの潮流として、いかなる社会的軋轢・闘争も入り込まない、ユートピアのような学園生活(『あずまんが大王』『らき☆すた』等)を描く作品が登場した。そこでは、小さな平和を撹乱するような、大きな戦いの次元が徹底的に抹消されている。そうした現実にはありそうもない世界が、少なくともアニメやマンガの作品においては表現できることを、読者・視聴者達は喜びをもって迎え入れ、一つのムーブメントになるまでに支持した。

またもう一つの潮流として、血で血を洗うような大きな戦い自体を、記号化・中性化して、物語を彩るアクセントとして取り込むような作品(『陸上防衛隊まおちゃん』『ストライク・ウィッチーズ』等)が数多く生み出された。そうすることで、小さな平和が大きな戦いに埋没することを防ぎ、かつ主人公たちによって世界が救われるというカタルシスも得られるようになっている。そこでは、もう大きな戦いを(ガンダムのように)リアルに描こうとはせず、作品に緊張感を与え、仲間達の絆や一致団結を演出する一つの要素として使う、という作り手と受け手の暗黙の前提が働いていると思われる。


『新世紀エヴァンゲリオン』

1995年に放映されたTVアニメ。庵野秀明監督の代表作であり、その後のアニメ史に大きな影響を与えた、近未来SFロボット作品。その複雑な心理描写、斬新で魅力的なキャラクター、難解なストーリー等で一大ブームを起こした。


『あずまんが大王』『らき☆すた』

前者は1999年からマンガ連載、2002年にアニメ化され、後者は2004年にマンガ連載、2007年にアニメ化された作品。ともに、ゆるゆるした女子高生の日常を描いた学園モノとして代表的。


『陸上防衛隊まおちゃん』『ストライク・ウィッチーズ』

前者は『ラブひな』の赤松健原作による、小学生がかわいいエイリアン(ぬいぐるみ)と愛らしく戦う美少女(幼女?)ミリタリーアニメ(2002年)。後者は足にプロペラをつけた少女達が、突如現れた正体不明の敵と空中戦を行う美少女SFアニメ(2008年)。合言葉は「パンツじゃないから、恥ずかしくないもん」。

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しかし『コードギアス』においては、小さな平和と大きな戦いの緊張関係は、徹底的に突き詰められ、物語の破綻寸前にまで高められている。そこでは小さな平和を描くために、大きな戦いが排除されるのでもなく、大きな戦いにおいて小さな平和が埋没するのでもない。

ルルーシュにおいては、戦闘と日常が生活の中で、非常に錯綜した形で混在している。しかしルルーシュは、その二つの次元の顔をきわめて手際よく使い分け、武装組織のリーダーとしての生活と、学園の生徒としての生活を、機知と実行力によって実現していく。彼は、熾烈で容赦のない戦闘の中を飛び回りながら、最初の目的である、妹と暮らす平和な学園生活もそのまま維持するというシビアな課題を、天才的な頭脳とギアスの能力を駆使して達成していく。武装組織(「黒の騎士団」)においては、仮面をつけ、「ゼロ」と名乗って正体を明かさずに、普段は学園の一生徒として、仲間との何気ない日常を送り続ける。

外では、圧倒的な戦力差を埋めるために、ためらいなく味方を囮にしたり、捨て駒にする冷徹な命令を下しながら、内なる学園生活では生徒会活動や鬼ごっこに精を出す。さらに、作戦行動のさなかでも、学園の友達に電話をかけたり、学園生活の合間に武装組織に指令を飛ばす。それは学園の友達、武装組織の戦友だけでなく、エリア11の多くの住民、さらには学園を統治するブリタニア帝国さえ欺き、小さな平和と大きな戦いをあくまで両立しようとする、恐るべき戦略である。

この武装組織と学園の間での虚々実々の駆け引き、その正体をつかもうとする者との腹の探り合いが、本作の大きな醍醐味だろう。主人公であるルルーシュの周囲にもまた、そうした二重生活を送る者がひしめき、敵味方に分かれ、複雑な人間関係を形成していく。反ブリタニア闘争を指揮するルルーシュが暮らすアッシュフォード学園には、敵であるはずのブリタニア人達が、友人として平和な生活を営んでいる。

そこには、かつての親友であり、現在はブリタニア軍人として、ルルーシュの正体を知らないまま熾烈な戦いを演じる柩木スザクもいれば、同じ黒の騎士団の部下でありながら、ルルーシュ同様に、正体を隠して暮らしている紅月カレンもいる。彼/彼女らとの交流の中で生じる、ルルーシュの葛藤や関係性の劇的な変化もまた、本作の魅力の一つでもある。特に紅月カレンは、戦場での勇壮な戦いぶりと学園で演じる病弱キャラのギャップ、仮面の男・ゼロへの恋愛感情のような尊敬と、ルルーシュがゼロではないかという疑念の間で揺れる感情などにより、非常に魅力的なキャラとなっている。

彼らを出し抜き、時には親友のよしみを利用して、妹の暮らす学園を守とうと、縦横無尽に策略を張り巡らすルルーシュの機知とめくるめくストーリーの展開に、魅了された視聴者も多いだろう。そして、あくまで小さな平和を戦いと両立させようとするルルーシュの綱渡りのような戦略が、虐殺や殲滅戦もいとわないブリタニアを敵にして、どこまで通用するのか、手に汗を握りつつ見守った視聴者も多いだろう。筆者もまた、そうして、回が重なるごとに、この小さな平和と大きな戦争の奇妙な共存状態に虜にされた一人である。

政治的・軍事的権力をほとんど持たない一学園の日常と、リアルな政治的・軍事的国家関係の中で起こる戦争の描写を、同一人物の視点から同時並行して見せつつ、あくまで一方が他方に埋没しないように描ききろうとする手法は、かなりの力技で、荒唐無稽ではある。普通に考えれば、2人の主人公を立てて、一方で日常の平和を、他方で戦争の苛烈さを描くという手法も取れただろう。しかし『コードギアス』のルルーシュは、あくまで1人の主人公が、まったく異なる2つの次元を手中に収めようとして、双方の舞台を所狭しと飛び回る。その驚くべき選択の結末に、最後まで付き合ってみるというのも、一興ではないだろうか。

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10/01/31 10:51 | コメント(0) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Buzzurlへ追加このエントリーのBuzzurlブックマーク数 livedoorクリップへ追加このエントリーのlivedoorクリップ数 Yahoo!ブックマークへ追加人が登録 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafへ追加 ニフティクリップへ追加 add to del.icio.us add to Digg add to Reddit

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