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ささやかな仕掛け-中居真理の"gingham check"【ドネルモアーカイブ】


テキスト:山内 泰

kado block


京都芸術センターで開催されていた「now here,nowhere」では、中居真理のタイルを用いた作品“gingham check”が際立っていた。というのも彼女の作品が、実に絶妙なバランスで、アートとデザインの狭間を、その双方が取り逃がしてきた領域を、模索する試みに思われたからだ。同時にそれは、今日の「アーティスト」になしうる領分を、正しく見極めているようにも思われた。以下、説明しよう。


中居真理の"gingham check"は、同一の写真がプリントされたタイル断片を4×4、そして4×4のまとまりの1ブロック(画像:右上)として、それらを5×20のブロックを壁面に整然と並べた作品である(画像右下)。各タイル断片には、部屋の隅っこの写真がプリントされている(画像:左下)。


kado部屋の隅っこは空間性をもっともわかりやすく示す箇所だ。だが中居は、三次元空間を構成する三本線を、二次元的な幾何学図形として捉え返す。結果、タイルのそれぞれは三面に分割された模様を示す。壁全体を遠くから見ると、まさにギンガム・チェックのようなモザイク調。ミニマルで抽象的なのである。

しかしながら、中居のギンガム・チェックの色彩は単純ではない。というのも、極めて微細なニュアンスを持つ写真がひしめき合うことで、細部が、そして全体が成り立っているのだから。壁面全体の整然とした抽象性と、様々なタイルの表情を収めた細部の具体性。抽象⇔具象の戯れが、まずは印象的だ。



ginghamもっとも、中居の作品が優れているのは、こうした具象⇔抽象の戯れが、表面的な遊戯に留まらず、更なる作品との関わりへ観る者を誘発してくる点にある。つまり、インタラクティヴ性に富んでいる。ただ一点確認しておくと、中居の"gingham check"はインタラクティヴ・アートではない。今回の展示では、作品に自由に触れる等、鑑賞者とのインタラクティヴなやりとりは意図されていなかった。にもかかわらず、作品がインタラクティヴ性に富んでいると思うのは、端的に、観ていると、各タイル辺の方向を変える等、タイル辺をいじりたくて、うずうずしてしまったからだ。


この私の印象は、まず、作家として中居の意図とは相反するだろう。というのも作家は、完成像を目指して、4×4、そして5×20の絶妙な配置を模索し、今回の展示状態へと行き着いたのだろうから。だがそれでもなお、完成を目指す作家の意図に反して、中居の作品にインタラクティヴ性を感じるのは、タイル断片のひしめき合う様に、完成品とは異なるあり方へのダイナミックな衝動を感じるからにほかならない。

細部のひしめき合いは、写真の具体性によるだけではない。写真をプリントされた〈タイルそのもの〉の歪みから生じるブレが大きく作用している。このブレは、(写真そのもののブレではなく)、タイル断片相互の大きさ・形・写真のプリント具合に基づくものだ。たしかに各タイルは、画一的に正方形に整えられており、写真のプリントも可能な限り誤差が修正されているらしい。だがそれでも、やはりタイル片の相互にはブレがあって、まさにそれらのブレが、一見整然と配置された抽象図形の細部に、ざわめきのような効果をもたらしている。


ギャラリーで作家本人に直接お話を伺う機会があった。そこで中居は、タイル辺相互の歪みについて語り、それらのブレを愛しく思う、と言う。そして今回は実現していないものの、鑑賞者が自由にタイル辺の向きを変えるようなインタラクティヴなあり方も模索したい、と。その想いが反映したのだろうか。今回の中居の作品は、完成とブレの間の矛盾を解消しえていない。そしてそれゆえにこそ、この作品は注目に値するものとなっている。

こうした特徴は、「完成した作品」こそアートだ、芸術だと考える向きには好まれないかもしれない。今回の作品に対しても、「これはアートなの?」「デザインとしては優れている」といった感想が寄せられることが少なくないという。

だがこれらの感想は、決定的に見落としている。アート/デザイン、芸術/商品といった二分法では捉えられない「作品」があること。そしてそういった思考の二分法が切り捨ててきた感受性を掬い取ろうとする想像力があること。今回の中居真理が、まさにそのような想像力の担い手であること。なにより、中居を取り上げることでこれらの点を(図らずも?)示しえた点こそ、「now here,nowhere」展の最大の魅力だったことを。


中居は、タイルと人間の関わる局面を注意深く見つめ、そして、その局面で目にした「豊かさ」へ人々の目を向けさせるために、ささやかな〈仕掛け〉を作ったにすぎない。たったそれだけのことだ。だが、その仕掛けにひっかかった者が、その後に見出すであろう豊かさはどうだろう。無論、ここで「豊かさ」とは、作品内部から汲み尽くされるべき「深み」を意味しない。そうではなくて、仕掛けにひっかかった人が、日常生活の中で、タイルをはじめとした何気ないモノと関わる局面に見出すであろう、微細なニュアンスの「豊かさ」である。

中居の"gingham check"とは、自分なりの仕方で豊かさを掘り起こせるような、そんなまなざしと想像力を観る者に促す仕掛けなのだ。そんな仕掛けを通じて、中居は、現代のアートとデザインが取り逃してきた(あるいは打ち壊してきた)感受性を回復することを願い、ボロボロに朽ちてしまったように思われる自発性を、もう一度私たちのうちに呼び覚まそうとする。つまりは「人間らしさ」を取り戻そうとする。そのための、ささやかな仕掛けなのだ。

だがそれは、あくまで仕掛けるだけのものだ。できるのは、そこまで。自分の世界観や流行のスタイルを観る者に押し付けるのではない。仕掛けにひっかかる誰かを待つのみ。そんなアーティストのスタンスにおいて、初めて作品は、自己完結(自己満足)の拘束から抜け出し、外部へと自ら開かれていく余地を得る。そこで素材の救済は、作品の完結性にではなく、鑑賞者のその後の生活のうちへ委ねられる。

中居のささやかさな仕掛けのうちに、作品をめぐるコミュニケーションの、ひとつの秀逸なモデルを見出そう。モノをめぐる創造的なコミュニケーションを誘発する仕掛けこそ、今日あらゆる領域で求められている。デザインはもちろん、アートも例外ではないだろう。

【updated date:2009/4/9】


10/02/02 23:07 | コメント(0) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Buzzurlへ追加このエントリーのBuzzurlブックマーク数 livedoorクリップへ追加このエントリーのlivedoorクリップ数 Yahoo!ブックマークへ追加人が登録 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafへ追加 ニフティクリップへ追加 add to del.icio.us add to Digg add to Reddit

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