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別冊ドネルモ vol.3『化物語』:"アララギ君ってなんなのさ"


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プレゼン:古賀琢磨

別冊ドネルモvol.3「化物語、あるいは私が持っているもの、全部」、今回は古賀琢磨さんのプレゼンをお届けします。前回の山内さんとは対照的に、古賀さんはアララギ君を中心に『化物語』を考察しているようです。それではどうぞご覧下さいませ〜

 

はじめに

とりあえず、僕の方では“アララギ君ってなんなのさ”ということを語っていきたいと思います。

 

アララギ君を見ていく上で、『化物語』は二つのパートがキチンと分かれていることに注目する必要があると思います。一つは<合理的解決のパート>で、もう一つは<価値判断のパート>です。前者は登場人物たちが問題を解決していく場面ですが、もう一つは自分たちを再度見つめ直し、解決自体を問い直す場面です。

<合理的解決のパート>は、要するに、自分の抱えた困難を乗り越えていく場面です。この場面では、各登場人物たちが自分の身におこった出来事を怪異として認識した上で、それぞれに適合的な方法で問題を解決していきます。

 

手段としての解決

この<合理的解決のパート>で、アララギ君がどんな存在であるのか、ということを考えてみたいのですが、ちょっと脇道にそれて、忍野メメのお話をしておきたいと思います。解決のパートではじめて忍野は登場します。彼は「力は貸す」けど、単独で解決はしきれない、と自分自身のあり方を彼女たちに説明します。

勿論、蟹のケースでは、潰してしまって「形の上では解決する」と言ったりもします。それこそ、救われるためには彼女たちの問題は「一人で勝手に助かる」しかないのです。あくまで忍野は手段でしかないのです。

さて、主人公のアララギ君は手段としては、基本的に役立たずというところに見られます。戦場ヶ原さんの問題は彼女が蟹に頭を下げ、母との過去を受け入れることで解決が図られました。他の事例も同様です。アララギ君自身は何かを能動的に解決することは全くできません。男性キャラクターが他人を癒しながら、自分自身も成長していくかのような治療者の物語はありがちですが、『化物語』ではそんなことにはなりません。こういった解決手段を提示する物語は、それはそれで面白いのですが、今回はちょっと省略させていただきます。アララギ君があくまで手段としては存在理由がない、というところに着目しておきたいと思います。

 

アララギ君の存在理由

では、物語の中でのアララギ君の役どころとは何か、というところが気になりますが、それは<価値判断のパート>にあります。それは、アララギ君と女の子たちの会話によって担われています。物事をどのように捉えるか、についての場面であるとも言えるでしょう。これを通過することによってヒトは再度自分のあり方を確認しながら、もう一度自分自身を捉えなおしていきます。

「ひたぎクラブ」を例にとってみましょう。戦場ヶ原さんは、自分がどのような存在であるのか、について様々な説明をしていきます。「病気」のこと。「蟹」のこと。他にも行為や別の言葉に替えて行われもします。常に他人を警戒して「武器」になる大量の文房具を持ち歩いていることはその一つでもあるといえるでしょう。

それをアララギ君は単に聞いているだけです。重要なのは会話の中でのボケとツッコミの関係です。戦場ヶ原さんは、アララギ君との会話の中で他人との関係のようなものへの価値を認めるようになります。それは自己分析の過程でもあります。

 

神原さんの矛盾

他の人の場合もちょっと考えてみましょう。「するがモンキー」では、戦場ヶ原のそばにいたい、という気持ちと、猿の手が原因と言い訳しながらレイニーデビルにアララギ君を「ぶちのめしたい」と願ってしまったことが問題の中心です。それは忍野によって種明かしされますが、ヒントは様々な形で会話パートの中にちりばめられています。神原さんのときには「矛盾」の周りを物語が回っています。神原さんは、原因となった怪異をレイニーデビルではなく猿の手と言います。

そもそも、アララギ君を前にした神原さん自身が「矛盾」を体現しています。彼女はアララギ君を憎みながら、まるで尊敬しているかのように振る舞います。尊敬していながら、殺そうとしているとも言えます。

 

アララギ君という契機

ありがちな物語では、絡まりあった糸を解くことが神原さんへの対処となるでしょう。例えば、神原の本当の願いを明らかにし、それが叶えられないようにアララギ君がレイニーデビルに勝ってしまうように。しかしながら、実際には、矛盾した存在に対しては矛盾をぶつける、という対処が図られます。悪魔に対してアララギ君をぶちのめすという願いを叶えると戦場ヶ原さんのそばにいられなくなるという形で。アララギ君というのは当事者に自己分析の契機を与えることで、物語がどのような結末を迎えるかについての分岐点を提示する存在なのだ、と言うことができると思います。

 

服を着るのが得意じゃない

解決の手段と解決する者の自己イメージは密接に結びついています。体重がなくなった、と言う出来事をどのように捉えるか、ということと、アララギ君に頼って、忍野という手段を用いることは切り離せません。何よりも、手段は時として私たちを裏切り、本人の望まないことをしでかします。忍野メメについて怪異という問題設定が行われれば動員される手段と見るならば、彼は時として「戦争」によって解決を導き出そうとします。単純に忍野メメという手段を動員するのでは戦場ヶ原さんの「病気」は治りません。

会話パートで、体重が軽くなったひたぎにとって「服を着るのは得意じゃ」なくなってしまっていることは一つの象徴とも言えます。「服」という他人から見られるもの、社会的なものを煩わしいと感じる状態から、人間関係を築いていく、あるいは「社会を取り戻す」状態へと移行するのが戦場ヶ原さんの求めるものです。そこでは不快な過去もあるでしょう。それを乗り越えていくことは戦場ヶ原さんしかできません。しかし、それらを一足飛びに解決してしまうこともできます。「戦争」という手段であり、忍野が解決してしまうということでした。それを避けるためには、彼女自身が解決の方途を選びとる必要がありましたし、解決も自分自身で遂行していかなければなりませんでした。

 

ここに<価値判断のパート>と<合理的解決のパート>の接合点が見出せます。合理的解決の方法は複数あり得ます。例えば、戦場ヶ原さんのケースで言えば「話し合い」と「戦争」です。

もう少し広い視野で考えれば、忍野メメという怪異のエキスパートに頼むのではなく、医学に頼るという方法もあります。どのような解決を選択するのか、ということは、合理的に判断はできません。抜本的な解決であるところの「社会を取り戻す」あるいは「母への感情を取り戻す」ということだって、別に忍野のところに行くのではなく、精神科にでも行けば良かったかもしれません。どのような手段を採用することも可能です。彼女にとって、怪異として処理することの方が相応しかったという、ただそれだけのことです。その相応しさを、つまり、どのように社会を取り戻すのか、という過程自体を定めるのが<価値判断のパート>です。合理的解決は価値判断なしには存在しえないのです。

 

彼はただそこにいた

しかし、戦場ヶ原さんの物語では、アララギ君という存在はそういった自己イメージを確定させ、手段へと導くという存在では収まりません。それは、戦場ヶ原さんにとっての価値判断とも結びついています。

 

戦場ヶ原さんの物語がTV放送最後の一話を占めたところにもそれは現れています。迂遠ですが、まず、戦場ヶ原さんとおもし蟹との関係を交換と見てみると分かりやすいかもしれません。戦場ヶ原さんはおもし蟹に社会を肩代わりしてもらう代わりに体重を差し出すという交換を行っていたという見方をしてみましょう。

戦場ヶ原さんはその社会と体重を自分のものにしようとします。しかしながら、そのためには社会の部分が足りません。経過してしまった三年分の社会を戦場ヶ原さんがもう一度生きることはできません。彼女は蟹に対して、原状回復できていないとも言えます。そこで、彼女は別の形で「おもし」を引き受ける必要があったとも言えます。彼女の場合、一人でおもし蟹にお願いすることはできなかったのです。つまり、新たなおもし、社会の拠り所が必要となるのです。それがアララギ君のもう一つの役割です。

第12話で、戦場ヶ原さんの治癒について、アララギ君が「僕でなくても良かった」と言い、戦場ヶ原父が「必要な時にそこにいてくれたという事実はただそれだけで何にもましてありがたいものだ」と諭す、そんな会話があります。彼はただそこにいた、というそれだけで戦場ヶ原さんにとって価値のある存在となったのです。

そこには、合理的に説明がつかない部分があります。突き詰めてしまえば、誰でも良くって、必然性なんてないところに価値は宿ります。私たちは、どこにでも転がっている様な、そんなショボい根拠に寄りかかりながら生きています。いえ、私たちはその程度のものさえあれば生きていけるほどに強い、とも言えるのかもしれません。

 

私はこのオカルト・アニメから二つのことを指摘しました。一つは、合理的解決の礎石となる価値判断自体は非合理的なものである、ということです。もう一つは、その価値は時としてとても些細なところからさえ導き出される、ということも言えそうです。アララギ君という存在は、このようなことを私たちの前に提示してくれる存在だと言えるでしょう。

 

 

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10/02/26 03:04 | コメント(0) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Buzzurlへ追加このエントリーのBuzzurlブックマーク数 livedoorクリップへ追加このエントリーのlivedoorクリップ数 Yahoo!ブックマークへ追加人が登録 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafへ追加 ニフティクリップへ追加 add to del.icio.us add to Digg add to Reddit

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