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「福岡の河童に引かれて」 ドネルモ・ヒストリエ エッセイ編① |
text:池田 悠南
福岡といえば全国でも有数の大都市である。人口は約145万。商業都市としても栄えており、天神・大名・キャナルシティ博多などは県外、あるいは国外からも観光にショッピングに多くの人が訪れる。博多湾、福岡空港などの交通網の良さから、アジアをはじめ世界にも開かれた大都市、福岡。そのような最先端の都市の中でさえ――、怪しいモノは存在していた。
改めて言うまでもなく、その都会性と裏腹に福岡は歴史ある都市である。博多祇園山笠の中心である櫛田神社、日本最古の禅寺である聖福寺、北部九州の宗教の中心地であっただろう筥崎八幡宮に大宰府など、はるか古代から続く神社仏閣も少なくない。小さな寺社や祠などなら、天神近辺でもいくつも見つけられる。近代性と歴史的な伝統とがごちゃ混ぜに共存している都市。それが福岡なのである。
さて、僕のような妖怪好きから言わせてもらうと福岡はまだまだ注目に値するだけの奇妙な怪しい伝説が残っている。飴買い幽霊の話から、人魚の骨が保管されている寺、「幻影童子」という遺骨のない墓、陰陽師安部晴明が杖を白龍に変え作った井戸、信心深い遊女の死後七日目に舌端から芳しい蓮華の華が咲いたという伝説。どれもこれも興味深すぎるほどのエピソードではあるが、詳しい話はまた別の機会に譲るとして、今回は誰もが知っている妖怪、河童についての話をしたい。
河童ってあの緑色で、甲羅があって、頭にお皿があって、お皿の水がこぼれたり乾いたりしたら弱る、なんかちょっと可愛い感じのやつでしょ?という答えがすぐ返ってくると思う。が、なめてはいけない。河童は妖怪の中でも1,2位を争うほど有名で超大物である。そしてなんと、実は私たちが住んでいる北部九州こそこの河童のメッカと言える土地なのである。
河童はもちろん全国各地に遍く存在している。おおもとは中国の水の怪である水虎に辿りつくと言われていて、ある伝説によるとそのうちの一派は熊本県の八代市に移動してきたという。彼らは球磨川に生息し、その数は九千匹にものぼったので九千坊と呼ばれた。ところがあるとき加藤清正が寵愛していたお世話役の美しい少年を川に引き込んでしまったために清正の怒りを買い、球磨川を追い出されることとなる。九千坊の一族は命からがら北上し、ついには筑後川に辿りついてそこに住まうようになった。
というのが主なストーリーなのだが、実は福岡にはこれとは異なる系統の伝承が残っている。それは九州北部に色濃く残る平家伝説と関連している。時は平安の末期。壇ノ浦の戦いにて平家は源氏に完全なる敗北を帰した。海に身投げした平氏もかなり多かったようであるが、中でも平教経の奥方とも言われる女性は入水したのち、河童にその姿を変え、北九州で陸に上がり海御前と呼ばれ河童の一族を頭として治めていたという。
筑後川は昭和前半まで毎年のように洪水が起こっていた日本有数の暴れ川である。これを治めていたのは久留米にある水天宮であった。この水天宮は全国に数ある水天宮の総本山であり、ちょうど北九州と八代とを結んだ中間地点にある。そう、この久留米の地域になると先ほどの九千坊伝説と平家伝説が混在されているのである。九千坊が平清盛であると言ったり、神社には中国『西遊記』の河童、沙悟浄が祀られていたりする。
このように北部九州はさまざまな系統の伝承が混じり合い、多くの特色ある河童譚が残ることとなったのである。河童のメッカだ、という意味がおわかりいただけたであろうか。
さて、河童が単に可愛いだけじゃなく、なんだか壮大なスケールと歴史をもったものすごく魅力的なやつに見えてきたところで福岡の河童の話をしよう。
福岡市にももちろん河童の伝説は残っている。当仁小学校前には3体の可愛らしい河童が道沿いに並んでいる。この河童像のある唐人町から百道浜あたりにかけても河童の伝説が残っている。舞台は百道の海で、いくつか似たような話はあるが、いずれも博多の大浜や唐人町近辺に住んでいた漁師が主人公である。
漁師は大変な酒好きでいつも酒を飲みながら百道沖で漁をしていた。すると河童が海から顔を出し「俺にも一杯くれ」と言ってくる。漁師は「お前に飲ませるような酒はない」と怒鳴りつけたので、河童は海の中に帰って行った。そのまま漁師は船で眠り込んでしまうが、目を覚ましてみるとそこは何故か百道の砂浜の上であった。自分の船は沖合で揺れている。船まで泳いで行ってみると、河童が酒を飲みほして船の中で眠っている。棹竹で殴りつけようとすると河童が「今後不漁のときには魚を持ってきますからどうかお許しください」と詫びるので許してやった。それ以来この河童は不漁の日には船の中に魚を投げ入れてくれるようになったという。
この話が面白いのは漁師が酒好きで非常に気が強く河童をやっつけてしまう博多の気質が見て取れるところである。どうも博多っ子には河童も敵わないようである。しかもこの後に「この河童は月の出た晩には地行の松の木の下で酒を飲んで寝ころんでいた」ともあり、河童まで酔っ払いなのである。
さらにそれから西、姪浜に行けば、なんと河童が記紀神話の中の登場人物として現れて来るのだ。姪浜住吉神社の一角には河童の像が立っている。なんとこの神社では毎年「祇園河童祭り」が行われ「河童音頭」が踊られるのだという。
小戸の海岸でイザナキが禊をして住吉三神を産むときのこと。ちょうど波が荒れて禊が出来ずに困っていた。するとそこに河童が現れて波が穏やかな場所に案内し、イザナキが安全に禊をすることが出来たのだという。この伝説をもとに、御神徳の高い河童であるということで河童面をお祀りするようになったのだという。
この姪浜住吉神社の宮司さんはテレビ番組「クイズ・ミリオネア」でパーフェクトを達成し、そのお金で鳥居の再建などを行っている。これも河童の御神徳のおかげだ、と言ってしまえるあたりがもうたまらなく素晴らしい。このように河童はまだ現代の世の中にも立派に力を持っているのである。
河童というのはどこにでもいる、と思われるかもしれない。でもだからこそ地域に根差し、土地の歴史とつながったり、そこに住む人々の性質に影響を受けたりする。僕が河童に夢中になっている理由はその愛嬌のある顔の向こうに、どことなくその土地の人たちの顔が透けて見えるように思えるからなのだ。
(おわり)
ドネルモ・エクスプレスEssay編は不定期連載です。今後の更新をお楽しみに!なお、地域のお祭りや伝説などの情報がございましたら、donnerlemot@gmail.comまでお寄せ下さいませ。お待ちしております。
福岡河童会
1956『九州の河童』三宅酒壺洞、梅林新市、原田種夫編、福岡河童会
和田寛
2005『河童伝承大辞典』岩田書院
| 冷泉荘ピクニック『サプライズ企画』(「3LDK」「BI-SHOP」「Cafe Hachi」「aroma.cafe みやび」) | 冷泉荘ピクニック『akioworks アートなんでも相談室』 | [10.05.01]ドネルモ・ヒストリエ第弐話《筥崎宮のおひざもと》 | 音楽クリエイター・クサノユウキ インタビュー Part1(連続3回) | コダマ・カフェ・エンターテイメント @Part.2 | ドネルモ・ヒストリエ 第壱話 福岡大仏と地獄・極楽めぐり@東長寺Part2 |
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