« 抵抗それ自体に抵抗せよ!... | ウルトラ・ミラクル・ファ... »

ポストモダンのエッジで踊る【ドネルモアーカイブ】


text:古賀徹


最近、安室奈美恵のコマーシャルが話題になっています。Vidalsasoon CM collaboration videoというプロジェクトで、スタイリストのパトリシア・フィールド(「セックス・アンド・ザ・シティ」「プラダを着た悪魔」etc)、ヘア・スタイリストのオーランド・ピタ(マドンナetcハリウッドセレブ御用達)とのコラボレーションです。ヴィダル・サスーンのHPでは、CMだけでなく、ミュージックビデオの全体を高画質で見ることができます(こちらをクリック)。

60年代、70年代、80年代を表す音楽にそれぞれビデオを付けたもので、全体で三曲構成です。すでに解禁となった最初の二本を見た感想はといえば、ついにここまできなしゃったか、ご立派じゃ、と思わず九州弁になってしまいます。そのくらい自分が田舎者に思えてしまったのです。

ああ、安室ちゃん、時代を飛び回ってポストモダンだなあ、資本主義の先端で消費社会と踊っているなあ、ほんと素敵です。

安室には表現主題の一貫性も、固定された自分の表現様式というものもありません。コブクロに代表されるJポップの多くが、情報記号資本主義社会に対して、実体としての自分、かけがえのない人間、真実の愛、譲り渡せぬ夢と希望といったものを主張する反動主義に陥っているとすれば、安室はコンテクストに応じて自らの意味作用をいくらでも書き換える、浮遊する記号となっています。彼女には、かけがえのないこの自分を表現しよう、表現主体としてのアイデンティティを主張しようなどという欲求はかけらもないかのようです。とても清々しいのです。

彼女にスタイルとアイデンティティがあるとすれば、それは「毎回変えてくる」というところかもしれません。PVは、映画の『プラダを来た悪魔』を彷彿とさせる出来映えです。

時代と場所と資本の要請に応じて自分をいくらでも変えてみせる。でも、高性能な記号としてその変え方に自信と誇りを持つ。「世界に一つだけの花」に逃避するのではなく、いろんな花を飛び回るカメレオンとして生きていく。たくましいです。こんな風に生きられたらなと、うらやましい限りです。

【updated date 2008/01/28】


10/03/24 14:21 | コメント(3) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Buzzurlへ追加このエントリーのBuzzurlブックマーク数 livedoorクリップへ追加このエントリーのlivedoorクリップ数 Yahoo!ブックマークへ追加人が登録 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafへ追加 ニフティクリップへ追加 add to del.icio.us add to Digg add to Reddit

« 抵抗それ自体に抵抗せよ!... | ウルトラ・ミラクル・ファ... »

関連記事

| 安室奈美恵、痕を押された身体の自由【ドネルモアーカイブ】 | 【新春企画】「わたしの2011年たち」 〜太田敬子さんのばあい〜 | 可愛い女の子とレジスタンス―安室奈美恵「naked」について | 抵抗それ自体に抵抗せよ!【ドネルモアーカイブ】 | 福岡市民芸術祭の広報説明会を実施しました! | []PROJECT IM@F : FNSD 馬琴&ぐり子ver. |


トラックバック(0)

トラックバックURL: http://donnerlemot.com/mt/mt-tb.cgi/421

コメント(3)

 ヴィダルサスーンのHPに掲載されている映像を観ながら、何を思ってしまったかというと、彼女のデビューから現在までのいきさつ(あまり詳しくは知りませんが)を思い返しながら、単純に、かわいいなとか、キュートだな、あるいは美しいな、ということでした。それは、3つの時代の雰囲気を纏う彼女を見て、「それぞれのキャラクター」に対して、そのような感想をいただいたというわけではないようで、そういったキャラクターを透かして観る「安室奈美恵」という一意的な何かに対してだったと思います。
 その時点で、(少なくとも私にとって)modenistさんが言う「高性能な記号」としては失敗しているのではないかという気もするのです。これまた気のせいかもしれませんが、ヴィダルサスーンのHPでは、商品よりもむしろ「安室奈美恵」な魅力がPRされているような、本末転倒した仕様になっているようにも思え、ヴィダルサスーンという会社が心配になってしまいました。
 とにもかくにも、これまで、私にとって「安室奈美恵」という芸能人について、特別な意識で観ることのない対象だったのですが、modenistさんの視点のおかげで、彼女の何かしらの魅力を観ることができたように思います。ありがとうございました。

コメントありがとうございます。ABN AMROさんの、キャラクターの背後にある安室奈美恵という生身の人間に注目してしまったとのコメント、確かにそのような楽しみ方もあります。私も、「ついにここまできなしゃったか」と目頭を熱くする、そういう受け取り方もしたのでした。

しかしそれとは別の見方もあるよ、というのが記事の趣旨です。J-POP界の中で、私にとって彼女(というか彼女のプロジェクト)が魅力的なのは、もちろん「かわいい」とか「キュート」というのもあるのですが、しかしながらとりわけそのデタッチメント(状況からの切り離し)のセンスだと思うのです。

ある一つの要素(時代、スタイル、最先端)に固執せず、そこから距離をとって、状況を一つの表現の素材に還元して、そのうえでそれを編集し、まとめあげて来るセンスです。これは彼女自身のプロデュースにも及んでいます。

たとえば歌を歌い上げて聴かせる、とかダンスのすごさを見せつける、という自己能力の最大表現ではなくて、歌もダンスも表現の一要素にしてしまって、つまり他のものと並ぶ記号にしてしまって、ファッションアイテムや時代性、カメラアングル、音楽のアレンジなどの膨大な数の要素記号と一緒に高速処理してくるのです。

そうすると、一つの作品のなかに、ファッション史の系列、ダンスの系列、歌詞の意味系列、映像技術の系列、大道具と美術の系列、安室という生身の人生系列、思想的系列、資本の系列などなど、複数の系列が同時並行的に走るようになります。そして、場面場面によって、それぞれの系列のいろんな諸相が瞬間的かつ同時的にきらめくようになるのです。潜在する系列と顕在的な系列が一つの縄目のように織りなされている感じです。

歴史というものを現代のセンスからイメージとしてとらえ、並列配置してくる。そのポストモダニズム的歴史感覚という点で、今回の「60.70.80」シリーズは、私のインテリ魂を久々にくすぐったのでした。自分自身から距離をとる。自分をキャラ化・素材化して表現の一要素に組み込んでいく。それは単純なアイデンティティを押し付けてくる表現の対極にあるものです。

 一つの作品の中に、そのような様々な系列の模様を観るというのは、興味深い観方ですね。深い知識のなせるわざなのではないかとも思います。様々な視聴者層の視点に耐えうるというのは、畢竟、作品そのもののクオリティの高さに由来するのかもしれません。
 丁寧なご回答ありがとうございました。

コメントする