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ドネルモ版『RiP!Remix宣言』シンポジウム@KBCシネマPart.1


構成:佐々木まどか/宮田智史

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3月14日(日)、KBCシネマにて開催されたネルモ版『RiP!リミックス宣言』(映画の紹介)シンポジウムの模様をお届けします(当日の様子はこちらをご覧下さい)。NHKの放送に先駆けて行われた上映会後のシンポジウムには、日曜の夜にもかかわらず、たくさんの方にご参加頂きました。ありがとうございました。今回のシンポジウムにあたっては、三人のパネリストの方々には、自身の専門分野やフィールドを通した<著作権の今と未来>について語って頂きました。

 

シンポジウム出演者

パネリスト:古賀徹九州大学大学院芸術工学研究院准教授 哲学
               河合雅弘NPO法人Project Arbalest代表理事/Linuxエンジニア)
               桑山篤ドネルモ『RiP!』プロジェクト発案者)
ファシリテーター:山内泰(ドネルモ代表)

 

哲学を専門とする古賀徹氏は、著作権に関して、産業/アーティストの対立という不毛な二項図式で考えるのでなく、むしろ、創作活動をよりよいかたちで推進するためにこそ、著作権の再整備が必要だと主張します。また、10年以上同人誌業界と関わっている河合雅弘氏は、日本の同人誌業界では、日常的に二次創作(リミックス)が行われていると指摘し、アメリカにおける著作権のあり方との違いを強調します。そして、今回のプロジェクトの発起人である桑山篤氏は、日本とアメリカでは著作権に関する状況は大きく異なるものの、それでもなお『RiP!』という映画が持つ積極的意義を述べています。それぞれ異なる立場の三人が繰り広げる議論の先に、どのような著作権の未来が想像できるでしょうか。

そして、より多くの方が著作権について再考されるきっかけになること。これこそが本プロジェクトの最も主要な目的です。それではどうぞご覧下さい。

『RiP!』プロジェクトの経緯 

山内
本日は、『RiP!』シンポジウムにご参加頂きまして、ありがとうございます。ファシリテーターを務めさせて頂くドネルモの山内と申します。まず、はじめに、今回のドネルモ『RiP!』プロジェクトの発起人である桑山君にこのプロジェクトを実行するに至った経緯をお話して頂きます。

桑山
桑山と申します。この『RiP!』プロジェクトは、私の友人が山形ドキュメンタリー映画祭で、ゲイラー監督から直接映画データをもらったことがきっかけです。その友人は監督から「上映会やってくれ」と言われたそうです。そして、友人からこの映画を紹介されました。とても面白かった。なので、上映会をやってみたいと思ったわけです。ちょうどその頃、色々ご縁があってドネルモさんと知り合いになり、ドネルモの企画としてやろうということになりました。それから、あれこれ相談していく中で、字幕化•上映会•シェアという一連のプロジェクトが始まったという流れです。

山内
私がはじめて『RiP!』を知ったのも、桑山君が話を持ってきてくれたことがきっかけです。作品の内容はご覧頂いたように知的財産を共有することの積極的な価値を訴える、そのような興味深いものでした。ただ当初、字幕に関しては、山形ドキュメンタリー映画祭で上映されたものをお借りするというやり方も計画していました。ただ、まさに字幕の著作権料を払ってくれと言われてしまって…(笑)。それはいかがなものかということで、自分たちで字幕を作ることにしました。最終的には、字幕をつけて映画のシェアまで行う予定です。ただ、今回上映会したものに関しては、まだかなりの修正が必要なので、シェアはもうしばらくお待ち下さい。

では早速、古賀さんの方から本日の映画についての感想をして頂きます。よろしくお願いします。

 

事実と表現

古賀
今日はじめて、この映画を拝見したのですけど、ちょっとびっくりしています。現在の著作権の議論の水準から考えると、この映画の主張はあまりにも粗雑で、混乱しており、問題が多い。一つ目は、産業の著作権主張を一方的に否定しているところ。二つ目としては、著作権は過去のもの、現状の創造行為を縛るもの、これに対して未来はフリー(自由、無料)であるという単純な二項対立図式を「過去と未来の戦い」として主張しているところ。三つ目、一番大きな問題は、<海賊版・海賊行為>と<二次利用(リミックス)>を意図的に混同して表明しているように見えるところです。まずこうした問題を指摘する前に、そもそも著作権とは一体どういったものなのかについて少し話してみたいと思います。

基本的に著作権は、<表現>を保護する権利であり、今日の人権の一部を構成するものと考えていい。これに対して、社会の中で起こる<事実>は、著作権の保護の範囲外にあります。

たとえば、太平洋戦争は社会の中で起こった<事実>です。かりにこれに著作権を設定して、戦争を起こした人やそれを実行した人を著作権者にしてしまうとどうなるでしょう? その戦争について述べたり、映画を作ったり、小説を書いたり、講演したりする度ごとに、著作権者の許諾を受けなければならないことになる。著作権者の意に反した表現はできなくなってしまう。これは大変おかしな話ですよね。<事実>というのは、社会の中で生じた出来事であり、それについては誰もが自由に利用できる。だから<事実>に関しては著作権的な保護を掛けないことになっている。一般的な思想やアイデアに関しても同じです。アイデアは著作権の範囲外にあるというと驚く人もいるかと思いますが、「アイデア自由の原則」という言葉があるぐらいです。ちなみにこの映画では、アイデアの利用をそのまま著作権侵害として表現していますが、これは間違いです。

これに対して、事実やアイデアが<表現されたもの>、その表現のありさまは、保護の対象となります。なぜなら表現は、<事実>に対して表現者がなしたものであり、つまり表現者の人格の延長物だと考えられるからです。表現された作品の所有者は誰だ?ということになれば、それはそれを作った人にまずはあるだろう、ということです。同じ事実やアイデアを違った仕方で表現すれば、その表現はそれぞれに保護の対象となります。このように<事実>と<表現>の区別は、著作権を考える場合、すごく重要なのです。

 

引用/コピー

古賀
しかし、<表現>もまた、社会の中でのひとつの<事実>となることがあるのです。本を出版したり、映画を製作したりして表現を発表すれば、みんながそれを見て、読むことにより、社会的な<事実>にもなる。その<事実>の側面に関して、著作権はこれを保護しない。つまり、その表現を社会的事実と見なし、その事実に「関して」何かを表現しようとするときには、著作権者の許諾は不要なのです。

例えば、引用というかたちがあります。ある表現について、その一部を利用して、これを批判したり論評したりすることは自由です。そうした引用ができるからこそ、ある映画や小説、舞台に対して自由な報道や批評をすることができる。こうしたことがなぜ可能かというと、それらの<表現>が同時に社会的<事実>でもあるからです。

ところが、<引用>というものは、テキストメディア、つまり文章を前提にして作られた制度なのです。文章の場合、これは誰々の文章です、絵画です、映像ですというかたちで、鍵括弧や注をつけて、どこから取ってきたかをはっきりと示すことができる。他人の表現と、それに対する自分の論評の境界をくっきりと示すことができるのです。

これに対して、他者の表現について、音楽や絵画など、文章以外で何らかの表現をしようとする場合、そうしたはっきりした引用のかたちを取ることは難しい。そうすると、どうなるか。この映画に出できたように、二次利用やリミックスというかたちを取らざるを得なくなる。二次利用やリミックスは、その元となった他者の作品について、つまりその知識を前提として、「こんな具合に変えてみたよ」というところで成り立つ表現です。その変え具合によって、その作品に対する一つの解釈を示しているわけです。つまりそれもまた、他者の表現を何らかの社会的事実として取り扱っているのです。

音楽や映像においては、文章のように明確な引用の形がとれずに、過去の作品の一部をそのまま新しい作品の中にその一部として映りこませる、取り込むことになる。そうするとそれは、ひとの表現をそのままパクって、自分のものにしているように見えなくもない。それは<事実>に「対する」自分の<表現>であると同時に、他者の<表現>を自分の<表現>として「使って」いるようにも見える。つまり他者の作品を明示してそれを引用しているのか、他者の作品であることを隠してそれを利用しているのか、の違いです。そして後者のかぎりで、二次利用は著作権侵害の疑いをかけられるということです。

 

<表現>が私たちの<事実>となったとき

古賀

今の時代では、かつての世代が共通して体験した戦争のようなものはもはや希薄で、『宇宙戦艦ヤマト』とか、『エヴァンゲリオン』とか、そうしたテレビや映画の作品が、世代ごとの人々の共通体験みたいになってきている。作品が<社会的事実>のような様相を帯びてきているわけです。そういったアニメはかつての戦争のように、多くの人が共有する事実、知的な表現活動の基盤のようになっている。けれども、先の戦争のような社会的事実とは違って、この場合そういった共通の知的基盤は<表現>である。その<表現>には著作権がかかっている。みなの共有財産であるべきはずのものに、著作権が設定されているという、先に述べた不合理な状態に近い状況が生じているわけです。

それでもアニメについて文章で表現するのであれば、先の引用の制度を用いて問題は生じないのでしょうけれど、音楽や映像で『エヴァ』について何かを表現しようとすれば、それを取り込む形で新たな作品を作るしか方法がないわけですから、たちまち問題になってしまう。「パロディ」や「ポップアート」なども、もとの作品をあらたな画面の中にそのまま取り込むことによって成立する表現手法です。ここが問題になるわけです。

そこで、この問題にどういった方策をとればいいか、私の考えを述べたいと思います。一つには、人の作品を取り込んで表現することを、創造的「流用」として認めるという案です。なぜ流用を認めるのかというと、流用をする元の作品を、<社会的事実>だと考えるからです。そうすると、みんなが知っているその<社会的事実>に「関して」表現するという先の原則にかなうわけですね。

"日本版フェアユース”(公正な利用)の試みとして、創造的流用や「取り込み」というかたちで合法化していけば、この映画で言われているような二次制作物、パロディやリミックス、マッシュアップのようなものの著作権の問題はかなりの程度緩和するのではないか。その表現が「流用」として認められるためには、元の作品が何であるかがはっきりとわかり、それに対する有意味な解釈が、つまりそれに関する新しい創造性の寄与がなされているかが判断できればいい。そう考えれば、著作権が創造性を縛るのではなく、むしろ著作権こそが新しい文化を切り開いていくのだという見方もできるようになると思うわけです。

 

フリー文化のために著作権が必要!?

古賀
この映画で主張されていた「クリエイティブ・コモンズ」や「フリーカルチャー」などは、作品を作った人が自分の作った作品を自由に利用していいと宣言することで成り立つわけです。でも、このことは著作権の全面的否定を意味しない。むしろこうしたあり方は、著作権のひとつの使い方なのです。私が作り出したものに関して、「こうした使い方ならOKですよ」って私が言っているわけです。つまりそれは作品に対する作者の支配の主張なのです。そうした私の権利が保証されないと、今度は誰かが私の作品を自分のものだと宣言して、それで、他の人の利用を禁止して、商売を始めてしまうかもしれない。だから、いわゆるフリー文化や「クリエイティブ・コモンズ」を実効力あるものにしようとすれば、著作権が確立されていないと無理なわけです。

だから、私の考えとしては、著作権を洗練させ、実情にあったものにして、創作活動を推進するかたちに微調整して、みんなで著作権を守るというしかたで、創作を盛んにしていけばいいのではないかと思うわけですね。

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山内
ありがとうございます。古賀さんの話のポイントは主に二つあると思います。一つは、例えば、太平洋戦争や浅間山荘事件、あるいはオウムを語るといった意味で事実を語るということに対して、『エヴァンゲリオン』などのように、みなが知っている共通の事実になっている表現があります。両者は、以前なら明白に区別されていたから、<戦争について語ること>と<マンガについて語ること>は、はっきりと意味が違うといえた。けれども、最近は簡単に区別することができなくなってきているということですね。

もうひとつは、著作権はテキストメディアを元に構成されているのではないかといことでした。何かを<引用>してくることは文章だと明確です。しかし、音楽や絵画の分野だと露骨にもってくることしかできない。それゆえ、どこまでが引用でどこからが創作かはっきりといえないわけです。例えば、映画に登場するDJのガールトークは、一つの曲を製作にするにあたって、原曲を露骨にもってきて、切り張りしてまったく別物の曲にします。ただし、音の素材はエルヴィス・コステロだと分かってしまいます。そのときは微妙な問題が発生してくる。そうした問題に対する古賀さんのご提案は、まさに「クリエティブ・コモンズ」がやっていることですよね。例えば、「ニコニコ動画」には「クリエイティブ・コモンズ」のものとして<この素材を使ってください>というかたちである素材を推奨している事案がある。でも、実際は、「クリエイティブ・コモンズ」の素材は人気がなくて、むしろ、イリーガルな素材のほうがマッシュアップ欲求を掻きたてる面があるわけです。

続いては、河合さんにお話を伺います。河合さんには、マンガの同人活動とリナックス、オープンソースウェアのお話をしていただきたいと思います。まずは現在の日本の同人活動についてのお話しをよろしくお願いします。

 

日本における「同人」とは何か

河合
今日はお呼び頂いてありがとうございます。特定非営利活動法人Project Arbalestの河合と申します。予め申し上げておきますと、私は他の方と違って、学問的に文化や社会について勉強したことはありません。ただ、現場の人間として15年ほど同人誌の世界をみてまいりました。今は同人イベントなどを支援するNPO法人を立ち上げ、単純に人を集めるイベントを企画•実行するだけではなく、他にも色々な同人活動をやっている人がいるので、その手伝いやこうした場所でお話をしたりしています。

一言で「同人」、つまり同人活動や同人誌といっても、たぶん殆どの方はご存知ないのではないでしょうか?言葉としては知っていても、実際の内情まで詳しく知っている方はあまりいらっしゃらないと思います。今日の映画の趣旨を踏まえて言うと、日本の同人誌はまさにこの映画で言われていた<リミックス>の一種だと考えてもらえればよいです。ただ、音楽のリミックスと異なる点もあります。元々、マンガ同人誌は自分でマンガを書くという、いわゆる<創作活動>だったですね。キャラクターから世界観まで全部自分で考えて全部自分で描く、そういう世界です。つまり、純粋な<アマチュアの世界>だったんです。

けれども、いつの間にか全部を創作するのは面倒だという人たちが現れます。その人たちは、既存のマンガのキャラクターや世界を勝手に使って、自分たちで<二次創作>をはじめ、それを流通させるようになった。これが現在の同人活動の世界です。また、今回映画に出てきたクラブミュージックのような音楽とは異なりますが、同人音楽というものもあります。この同人音楽は、「ニコニコ動画」のような動画共有サイトで公開され、シェアされています。では、どうしてこのような同人誌市場が成立しているかというと、商業出版社ではなく、どこかの個人やサークルが自費出版したものを販売委託されて売っているからです。それをたくさん買う人もいる、というのが今の日本の現実です。

 

『RiP!』に対する距離感


河合
今回のこの映画は、クリエイターの戦いというようなすごく仰々しいことになっているのですが、日本においては、同人誌というのは表現のかたち、創作のかたちとして認められています。それは書き手側だけでなく、受け手の方からもです。お金を媒介にして、売買、頒布、というかたちで市場が回っていますし、ネット上でも、「ニコニコ動画」や「PIXIV」のようにイラストの共有サイトもあります。つまり、日本においては、この映画で主張されている<リミックス>やいわゆる<二次創作>は、同人活動をしている人にとって当たり前のことなんです。なので、長い間、同人活動の世界を見てきた私の『RiP!』に対する感想は、“ここまでいうことはないのではないか”というものです。

山内
マンガ同人の話は映画でいうと、ミッキーのキャラだけ使用して、別のマンガを描いていたダン・オニールというマンガ家が登場していましたね。マンガの二次創作というものは、河合さんがおっしゃるように、80年代ぐらいからいわゆる<二次創作>、つまり一般商業マンガのキャラクターをまさに流用といいますか、自分なりに書き直して、別のストーリーを自分たちでつくるという動向になっていきます。そして、そうした動きに多くの人が集い、大きな市場を創りだしていきます。しかし、その河合さんが言うように、このことは日本においては仰々しい話ではない。つまり、プロのマンガ家は、自分の生み出したキャラクターが幅広く二次創作に利用されていることも知っているし、プロのマンガになる人は元々そうした同人作家だったからだという例も多々ある。そういう中で、きちんと住み分けみたいなものができているってことですよね。ただ、同人誌は、厳格に<海賊版>と<リミックス>とを区別しているんですよね。

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同人誌の掟=海賊行為禁止!

河合
同人誌のイベントは、テレビで年に二回ほど報道されますが、そのほとんどが東京ビックサイトに3日間で50万人集まったというニュースですよね。ただ、それだけが同人即売会の姿ではない。北から南まで、同人誌のイベントはどこにでもあるものなんですよ。福岡でも、東京のある会社が、ヤフードームで大きな同人イベントをやっていますが、それもひとつの形態でしかない。今日も大牟田という炭鉱で寂れた街で、数百人を動員する同人誌のイベントが開催されています。こうしたイベントは、地元の方がずっと頑張って守り続けてきた同人誌の文化によるものです。このあたりでは、久留米や大牟田、佐賀、長崎、佐世保、熊本、都城、宮崎など色々な場所で、同人イベントが開催されています。つまり、日本中どこでもやっているんですね。石垣島で開催されたこともあるようですよ。ただ、そういった末端の田舎のイベントに通っている子たちは、逆に東京でどのようなイベントが行われているか知らないですね。50万人集まっているとか。

けれども、同人誌の世界では、<トレース>、つまり本物をなぞって書くとか、コピーや切り貼りはやってはいけないということをどんな田舎の子でも全員知っているんです。それは<同人誌のルール>だということをみなが理解している。なぜかわかんないですが(笑)。おそらく同人の世界に飛び込んできた際に、なんらかのかたちで知らされたのでしょうね。もちろん、日本人の教育水準が高いからとか、他にも大きい理由があるのでしょうが、実際には明確なルールが決められているんです。

だから、どこの同人誌のイベントでも<トレース>をやってはいけないことをみんなが理解し守っている。それは小学生でも、中学生でも、田舎でも都会の子でも同じなんです。それゆえに、同人誌の現場において<トレース>や<コピー>を行った作品や海賊版にあたる作品は、流通しないようになっている。最近の例では、ある地域でそうしたルール違反を犯した人がいたんですが、その人はすぐ見つかり、出入り禁止になったみたいです。日本にはこうした現状があるんです。そういった意味では、すごく日本の同人誌は、きっちりした自治がきっちり成り立っている気がします。

 

実は"ミッキー”書いてもいいんじゃないか問題

山内
河合さんの同人誌界のルールお話は、映画の中でレッシグが述べていたように、<リミックス>はやっているけど<海賊行為>はやっていないということですよね。法律というよりも、むしろ自治のレベルでルールが成立している。そうした中で、<コピー>は駄目で<二次創作>はいいというルールができているんですね。おそらく、プロの作家もこのルールには介入しない。

ただ、例えば日本でもディズニーなどは厳しいのでしょうか?

河合
ディズニーは厳しいですね。わかりやすい例では、映画でも紹介されていましたが、保育園の壁にミッキーの絵を書いたら駄目でしたよね。日本でもプールに書いたら駄目だったという例があります。

山内

それはいわゆる<トレース>ではなくて、どんなに下手糞でも、ミッキーが別のことをやっているというだけで駄目なんですか?

河合
描いて、それがディズニーだと分かったら駄目みたいですね。そのプールの話も、卒業制作で小学6年が描いたって話でしたね。それでそこそこ似ていたんじゃないかな。

古賀
たとえば文章にかんしては、その文章の元となった思想なりアイデアなりは著作権の保護の対象外にあるわけです。だからある文章を読んで、そこに書いてあるアイデアを自分の言葉で書き直せば、それは著作権侵害には当たらない。基本的に著作権で保護されるのは、表現されたものそのものなのです。これをミッキーの例に当てはめて考えてみると、ミッキーを一つのアイデアのようなものと考えて、自分なりのミッキーのようなものを、自分の手で書き直せば、著作権侵害に当たらないという解釈も、できないことはない。表現されたキャラクターではなく、キャラクターそのものが著作権の保護の対象になるかどうかについては、議論が分かれるところでしょう。

この事例に関してディズニーのよくないところは、自分の手で書き直したものにまで一律に著作権侵害だという言い方をしてくる点です。ミッキーのキャラクターのそのままのコピーなのか、それともそれを自分なりに書き直した解釈なのか、この違いをはっきりと区別して、著作権法を再整理することが求められていると思います。

もうひとつ。海賊行為というお話がでていましたが、海賊行為とは、作品のそのままのコピー(デットコピー)を著作権者の許可なく販売したりすることです。映画の中でも取り上げられていたファイル交換ソフト自体に問題はない。自分が作った曲を世界中の人たちとやりとりするのは全然OKなんですよ。それは誰も問題にしていない。問題なのは、どこかのレコード会社が出した楽曲やCDをそのままコピーして、全世界に対して公開するという行為であり、それを幇助するような形でファイル交換ソフトが開発されたり利用されたりしているということなのです。商品のデッドコピーを不可能にするソフトであれば問題にもならないでしょう。

今回の映画は、リミックスもデッドコピーも一緒くたに海賊行為だと表現している。そして、リミックスは正当だよね、と訴えながら、違法ダウンロードのような行為まで、一緒に正当化しようとしている。ここは分けて考えないといけない。違法なデッドコピーは、産業の利益に対する明確な侵害です。コピーしても商品は減らないからコピーと窃盗は違うという論も横行しているようですが、とんでもないことです。たとえば映画館に行って、映画は減らないから俺はタダで入場させろ、と主張するようなものです。そんなことを認めたら映画そのものが成り立たなくなる。レッシグもデットコピーのような海賊行為はやってはいけないと主張している。

Part.2へつづく)

 

 

 

 

桑山篤(ドネルモ )3ヶ月後に青年海外協力隊としてキルギスへ

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古賀徹(九州大学大学院芸術工学研究院准教授 哲学)

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河合雅弘さん(NPO法人Project Arbalest代表理事/Linuxエンジニア)

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山内泰(ドネルモ代表/福岡歯科大学非常勤講師 美学)

 

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シンポジウムの会場@KBCシネマ

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リミックス

楽曲制作において、完成された曲の録音素材をもとに、編集したり、新たに素材を加えたりして、別のアプローチからその曲を再構築すること。または再構築されたその曲のこと。

 

ポップアート

1960年代にアメリカを中心として広まった、コミックやポスターなどCMやマスメディアに登場する図像を素材に取り入れた前衛美術である。大量生産・大量消費社会をテーマとして表現する。

 

 

クリエイティブ・コモンズ

創造的な作品に柔軟な著作権を定義するライセンスシステムを提供するNPO法人。目的は、提供するライセンスを利用する著作権者が増え、それによって様々なコンテンツの利用が促進されることにある。

 

ガール・トーク

アメリカ、ピッツバーグ発の人気アーティスト、GreggGillisのソロ・ユニット。たぐいまれなミックス・センスと、マッシュアップとデジタルサンプリングの技法で作曲をする。02年にマッシュアップ作品『Secret Diary』でデビュー。06年の3rdアルバム『Night Ripper』は米の音楽各紙で絶賛され、Coachella、SXSW、Lollapaloozaなどの主要フェスに出演。

 

エルヴィス・コステロ

イギリス、ロンドン生まれのロック・スター。幼少よりビートルズなどの影響を受け、働きながら「フリップ・シティ」というバンドで活動を始める。1977年、シングル『レス・ザン・ゼロ(Less Than Zero)』でデビュー。

 

 

ニコニコ動画

ニワンゴが提供している動画配信関連サービス。ニコニコ動画の特徴は、動画配信サイトで配信されている動画の特定の再生時間上にユーザーがコメントを投稿し表示できるコメント機能であり、この独特のコメントシステムもあいまって、独自の文化を築いている。

 

 

マッシュ・アップ

リミックスが、元の音源の一部(ワンループ以上、もしくは一部分の音のみ)を広げて使うのに対して、2つ以上の曲から片方はボーカルトラック、もう片方はオケトラックを取り出してそれらをもともとあった曲のようにミックスし重ねて一つにした音楽の手法である。

 

pixiv

→(公式サイト

ピクシブ株式会社が運営するイラストに特化したソーシャル・ネットワーキング・サービス。日記や文章などではなく自分の描いたイラストとブックマークしたイラストそのものが利用者のプロフィールを形成し、全てのコミュニケーションの核となる。

 

 

ローレンス・レッシグ

ハーバード大学法学教授およびエドモン・J・サフラ財団倫理センター所長。専門は憲法学およびサイバー法学。著作権の拡大に対する批判で知られる。フリーソフトウェア財団と自らが設立したクリエイティブ・コモンズの理事を務めている。

 

 

ダン・オニール(Dan O'Neill)

アメリカのアンダーグラウンドコミックスの作家。1971年に、ミッキーマウスやミニーによる性交や薬物使用を描いた「AirPirates」を出版。ディズニーからの著作権訴訟で有名。

 

 

海賊版

法律上の権利を無視して諸権利を有しない者により権利者に無断で発売される非合法商品のこと総称して海賊版と呼ぶ。暴力団やマフィアなどの犯罪組織の資金源の一つになっているとされる。

 

 

ファイル交換ソフト

ファイル共有ソフトとも呼ばれる。インターネットを通じてファイルを不特定多数で共有することを目的としたソフトウェアのこと。ソフトが定めた専用のプロトコルで通信を行うことで専用のネットワークを構成し、そのネットワークに接続された不特定多数のコンピュータとの間で共有されているファイルのやりとりを行う仕組みを持つソフトウェア。一般にファイル共有と呼ばれる場合、著作権を侵害する用途に使われることが多いため、グループウェアなどで文章などを共有する場合はドキュメント共有と呼び、区別されることが多い。

 


 

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10/04/10 06:03 | コメント(0) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Buzzurlへ追加このエントリーのBuzzurlブックマーク数 livedoorクリップへ追加このエントリーのlivedoorクリップ数 Yahoo!ブックマークへ追加人が登録 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafへ追加 ニフティクリップへ追加 add to del.icio.us add to Digg add to Reddit

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