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ドネルモ.func(2)「シミュラークルとしての安室奈美恵」講師:古賀徹 PART.1


構成:原口唯/宮田智史

今日、特定の世代の価値観を代弁する言葉や、閉じられた狭いコミュニティにのみ向けられた言葉が、そこかしこに溢れています。こうした状況は学問の世界も同じ。<専門的なことだから>とか<難しいから>といった理由で、一部の人にしか分からないのでは、言葉は閉じたままです。それではもったいないですよね!

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ドネルモ.funcでは、いわゆる「専門家」をお呼びして、自分の専門分野とは異なるテーマを語ってもらいます。なぜなら、そうした状況において「専門家」は自分の専門領域を一旦離れて、ある対象に向き合い、立ち止まる必要があるからです。共通の前提を持たない人たちに、自分の専門ではない対象を語り、惹きつけるためには、そこで発せられる言葉自体に魅力がなければならない。それはとても面倒な作業だと思います。ただ、そのような回り道にこそ「開かれた言葉」が宿る、そんなこともあるでしょう。(第一回のドネルモ.funcの模様はこちらです

 

さて、3月27日に開催された第2回ドネルモ.funcでは、「哲学」をご専門にされている九州大学の古賀徹先生をお呼びして、「安室奈美恵」について語って頂きました。「哲学」と「安室」!?どこが関係あんの?と思ったみなさんは、すでに古賀先生の術中にはまっています。結構長いですが、騙されたと思って、この先を読んでみてください。そうすれば、「哲学」と「安室」の新たな見方が垣間見られますよ。それではご覧下さい!

 

 


はじめに

宮田
今回のドネルモ.funcでは、九州大学芸術工学院准教授の古賀徹先生を講師としてお呼びし、『シミュラークルとしての安室奈美恵』というテーマで話して頂きます。みなさんもご存じとは思いますが、まずは安室奈美恵さんについて簡単に説明をさせて頂きます。

1992年にデビューした安室奈美恵さんは、小室哲哉プロデュースの下、90年代に最も人気のあった女性歌手の1人です。当時は「アムラー」という流行語ができるなど、10代の女の子たちのファッションリーダーでもありました。その後、2000年に開催された九州•沖縄サミットでは、各国の首脳の前で歌を披露し、キャリアの絶頂を迎えます。

しかし、2001年を最後に小室哲哉のプロデュースを離れ、R&B,HIP-HOP志向の曲をリリースしていくようになります。その頃始めたプロジェクトが「SUITE CHIC」です。この「SUITE CHIC」は、安室が特にR&B、HIP-HOPのアーティストとコラボレーションしていくプロジェクトで、現在の安室を語る上では欠かす事のできない重要な展開点だといえるでしょう。ただ、こうした安室の動きは、マイナー路線への転向とみなされ、一部の人には好意的に迎えられましたが、セールス的には振るわず、人気に翳りがでてきたと受け止められていたように思えます。

けれども、こうした地道な活動は徐々に浸透し、2004年以降は海外、特に東アジア圏で人気が高まっていきます。さらに、2008年には、ヴィダルサスーンのイメージモデルに採用され、同年リリースしたベストアルバム『BEST FICTION』がミリオンセラーを達成するなど、女性ソロアーティストとして28年半ぶりに6週連続オリオンを獲得します。その後行われた単独アリーナツアー『namie amuro BEST FICTION TOUR 2008-2009』は、自身最大規模かつ女性ソロアーティスト史上最多動員数を記録し、名実ともに90年代以上の成功をおさめます。ちなみに、このツアーには古賀先生はもちろん、僕も行きました。すごかったです(笑)。このように現在のところ、<安室奈美恵>の他に並ぶ者なしといった状況ではないでしょうか。

ただ、このような実績をもつ安室奈美恵を語る状況は、必ずしも実りの多いものではないと思います。一方では、アマゾンレビューなどによる安室擁護がなされ、他方では海外のアーティストのパクリといった批判がなされています。また、安室奈美恵を批評した雑誌なども多少ありますが、その多くは、音楽業界をネタにしたものや、三面記事的なものが多いのが実状です。サブカル系の方面からもほぼ黙殺されていると言っていいです。そのような中で、本日お話しして頂く古賀先生は、以前から安室さんを高く評価し、継続的に批評なさっています。その成果はドネルモのホームページでご覧頂けます。それでは古賀先生、よろしくお願いします。

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安室との出会い、そして衝撃

古賀
古賀です。今日はお越し下さいまして、ありがとうございます。じつは、ファンだって人を見たことがないというくらい、安室奈美恵さんは私の周りでは大変に評判が悪いのですね(笑)。安室の話をすると、なぜかいろんな所から矢が飛んでくる……それを覚悟しながら話さなければならないのは一体なぜなのか、安室奈美恵はなにゆえ、大学、アート、インテリ界隈で評判が悪いのか、そこにはじつは深い理由があるのではないか。

そんなことを考えながら、まずは私と安室さんとの「馴れ初め」から話し始めたいと思います。それは2005年の夏、とある蒸し暑い夜のことでした。私が仕事先から帰ってくると、かつて何気なくクリック注文した、安室奈美恵のDVD「FILMOGRAPHY 2001-2005」がポストに入っていました。ところがそれを見て、青天の霹靂と申しますか、脳天を割られたような衝撃を覚えた。それ以来、完全に「やられて」しまって、発売されたものを買っては批評に励む、そんな生活を送るようになりました。まあ、要するにファンになってしまったわけですが(笑)。

恋してしまった本人にできるだけ近づきたい。これは人の性ですね。でも、私は著名な芸人の何某君ではないので、パーティーで知り合って口説くというわけにはいかない。ではどうしたかというと、彼女のDVDを精緻かつ高密度に再生するという歩みを始めたわけです。結構な額のお金を再生機械に投入いたしまして、今ではご本人よりもリアルに映る素晴らしいプロジェクター画像を我が家にて獲得するに至っております。これでやっと私と安室さんは結ばれたわけです。

 

一同
(苦笑)

 

白と黒の世界/色とりどりの世界

古賀
こんな状態になってしまった私は、恋愛の場面と同じように、なぜ自分が安室奈美恵に惹かれるのかを考えるわけです。実はこのことは本論と深い関係があるわけです!あとから、分かってきますよ・・もう少し、話は脱線します。最近、私は夏目漱石の本を読んでいます。今日もずっと読んでいました。夏目漱石が書いていることを簡単にまとめると、要するに<駄目になったインテリ>の話なのですね。明治維新の頃に、福沢諭吉という人がいましたが、彼の本を読むと、学問をやれば人間と社会は大変進歩すると書いてある。学問をすれば、国家のためになり、文明は盛んになり、しかも学問をする本人もまた経済的に金持ちになるとまで書いてあるわけです。このように、当時の学問というものは、何よりも素晴らしい可能性に満ち満ちていたわけですよ。

まあ、この「ドネルモfunc」という企画が、ダメになったインテリ救済を目的の一つとしているように、現代において人文系の学問というものは困難な状況に陥ってしまった。インテリは、一生懸命「真理」を研究しても、誰にもその「真理」を理解してもらえないという状況です。例えば、私が現代哲学の最先端について発表するとします。でも、それを聞いてくれるのは、ここにご出席の少数精鋭の人数よりさらに少ない可能性がある…夏目漱石もそうした悩みを抱えていた。彼は東京大学の講師にまで昇りつめるのですが、博士号を辞退します。彼自身、博士などというものは楊枝の先ほどのことに集中するばかりで、人々から浮き上がってしまうつまらない存在だと言っている。漱石はうつ病のような状態になって大学を辞め、学問を捨てて、本格的に国民作家への道を歩んでいくわけです。

私も夏目漱石と同じように−というとおこがましいのですが、一生懸命に「真理」を学問していたわけです。でも、やっていることを誰にも聞いてもらえないという状況に陥った。哲学書の文字、テキストの世界には、「色」というものがない。階調もない、グレーもない。あるのは黒と白だけ。論理の砂漠です。そのような「真理」の世界に住むウブな男性が、カラフルな安室のDVDの映像を見てハートを射抜かれるわけです。毎夜毎夜、部屋を真っ暗にして、大きなプロジェクター画面で彼女を見ながら、いつしかそれが私の現実になっていく。洞窟の壁に映っている映像のほうが、「真理」である論理と理念の世界よりずっと魅力的で現実的なのです。安室の映像を見ているときだけ世界にリアリティというか、生き生きした感覚を覚える。でも、画面を消すと日常の世界は、灰色の、何もない味気ない場所のように感じてしまう。こうした状況は、リアルであるはずのものからリアリティが失われ、リアルでないはずのものががリアルになっていく状態です。まずはその話を今からしましょう。

 

シミュレーション(摸擬)−避難訓練のように現実を摸擬すること

古賀
ジャン・ボードリヤールという20世紀フランスの哲学者がいました。ボードリヤールは、「シミュレーション」について語りました。「シミュレーション」とは、現実をシミュレートする、模擬することを指しています。みなさんも、本番の大学入試の前に模擬試験を受けましたよね。また、実際に災害が起こることを想定して、避難訓練をしますよね。避難訓練のように現実を摸擬すること、それがさしあたり「シミュレーション」ということなのです。

この「シミュレーション」は一つのシステムというか、一連の行動なのです。避難訓練をするとき、机の下に隠れるとか、先生の誘導に従って脱出するとか、発煙筒を焚くとか、一連の動きがありますよね。そうした色々な要素、シミュレーション全体を構成している個別の要素を「シミュラークル」といいます。今日の表題の『シミュラークルとしての安室奈美恵』というのは、安室奈美恵は「シミュレーション」を構成しているひとつの要素なんですよ、という意味です。今日はそういうお話なわけなんです。

 

西洋絵画の伝統−印象派・キュビズムの「シミュレーション」

古賀
シミュレーションには様々なものがありますが、絵画の例が分かりやすいでしょう。絵画は一つのシミュレーションです。絵画は、そこに描かれている現実世界をシミュレートしています。西洋の絵画の歴史を見てみると、絵画作品は現実のリアルなあり方を示しつづけてきたということができます。人物や景色や廃墟を描いたアカデミックな細密画があるかと思えば、印象派のように絵の具を配置した作品もある。また、「キュビズム」という絵画の様式においては、同一の人物を様々な角度から見た画像が同時にキャンパスに描かれている作品もあります。いずれにしても、どの作品も「現実はこうなんだよ」ということを表現しようとしているわけです。つまり、より真理に迫ったありかた、そういう意味での「現実」のシミュレーションが追求されている。画家は、キャンパスに描かれた作品こそが、現実の本当の姿を示しているのだ、より現実に近いのだと、そういうかたちで現実に向きあっているんですね。なので、絵画の歴史においては、印象派以後やキュビズムにおいても、現実の真の姿をキャンパスで表現するという構図は変わらなかったわけなんです。そこにおいては、現実世界の、リアルなシミュレーションが追求されていた。

 

ポップアートの登場−「シミュレーションのシミュレーション」

古賀
ところが、そうした絵画の歴史に、「ポップアート」というものが現れます。その「ポップアート」を代表するのがアンディ・ウォーホルという人物です。彼はチェ・ゲバラやマリリン・モンローの図像や缶詰の商標などを彩色し、コラージュし、並べることで「作品」を作った。つまり、すでに絵や写真として存在するシミュレーションをもう一回シミュレートしたわけです。つまり、「シミュレーションのシミュレーション」を作ったのです。これについては、「二次創作」という言い方もできるでしょう。

「ポップアート」は今までの絵画の伝統にはなかったことをやったわけです。今までの絵画は、現実の真の姿を示していると主張していたのだけれど、「ポップ」になった途端に、絵画は「真理」とは無縁になってしまったように思われたのです。つまり絵画が何を描こうとしているのか全然分からなくなった。だから、ウォーホルはいったい何をやっているんだ?と論争になったのです。現実があって、そのコピーがあって、さらにそのコピーがある。そしてその最後のコピーこそが、人々のもうひとつの「現実」を構成している。ウォーホルはそう主張したかったのかもしれません。外側の現実世界のシミュレーションというこれまでの構図が崩れ、コピーそのもののコピー的描写、こうした制作物たちから成る世界が、「ポップ」ということの意味なのです。

 

フォーディズムからゼネラルモーターズへ

古賀
このことを <自動車>について説明してみましょう。自動車もまた、ある種のシミュレーション機械と考えることができます。人間が速く移動することを自動車はシミュレートしているわけです。そこではさしあたり、たとえば走る人間という「現実」がある。皆さんもご存じでしょうが、フォードという自動車会社がありますね。フォードは最初に自動車を量産した会社です。ところがフォードは後発のゼネラルモーターズ(GM)に販売において負けてしまうのです。というのも、フォードは自動車の車種を一種類だけしか作らなかったからです。1車種さえあれば、“人間が走る”ということをシミュレートするのに十分だということで、安く、性能が良いものを大量に作ったんです。これを「フォーディズム」と言います。一品種大量生産です。しかし、そうした「フォーディズム」に対して、GMは、多品種生産で対抗した。

若者向きの車、社長向きの車、ファミリー向きの車など、GMは、多彩な商品ラインナップを作っていった。それは自動車という現実をシミュレートする機械をさまざまなやりかたでもう一度、シミュレートしていったということです。シミュレーションのシミュレーションです。

モデルチェンジも同じ原理に基づいています。2003年型、2008年型といった新製品が次々に出てくる。それは何をシミュレートしているのかといえば、その都度の先行するモデルなのです。そこで新製品はすべて、先行する商品のシミュレーション、つまりコピーのコピーなのです。なぜ私がこのような話をするのか、安室と何の関係があるのかに関しては、もう少し待ってくださいね。

 

先行するモデルとの差異

古賀
こういうふうにラインナップやモデルチェンジというかたちでシミュレーションが行われると、シミュレーションの意味はどう変化するでしょうか?それは、シミュレーションが<現実>という参照項をもはや必要としなくなるということです。<現実>の真の姿をとりだしてみせることよりも、むしろ、先行するモデルに対してより新しく、より進化しているという意味が重要になるのです。00年<04年<09年モデル、ということになります。”PAST<FUTURE”なわけです。新たに制作されたものが持っている意味は、<先行するモデルとの差異>としてそのつど新たに生まれることになる。「以前のものとここが違う!」という具合で。そこにしか意味はない。もっといえば、09年モデルが登場したときにはじめて、04年モデルは、09年や00年モデルとの関係で再び新しい意味を以て定義されるようになるわけです。差異は、ラインナップやモデルチェンジのなかで生み出される。そしてその差異だけが、コピーとしての商品が持つ意味なんだというわけなんです。

それでは、ここで1曲、安室の最新アルバム『PAST<FUTURE』に収録されている「COPY THAT」♪という曲を聴いてみましょう。オフィスで女性が働いているときにコピー取りをやりますよね。この曲はそれをモティーフにして、人々の生きている世界は、あれをコピーして、これをコピーして、といったかたちで成り立っていると歌っています。私の「最強の相棒」は「COPY THAT」だと。

 

安室の転向と黒人音楽

古賀
では、これまでの話と安室はどんな関係があるのか?ここからがいよいよ本題です。安室は、90年代、主にユーロビートを基調とした小室哲哉の楽曲を歌っていた。しかし2001年以降、そこから「R&B」にシフトしたと言われています。この「R&B」とは、1970年代のニューヨークで始まり、同時期に「ブレイクダンス」とか「グラフィティ」とか「ラップ」とか、そういったものが盛り上がってきた。こうしたものを総称して「HIP-HOP」と呼ぶこともあります。「HIP-HOP」は日本語に訳すると「あれもこれも」という意味だそうです。ラップもできれば、ダンスもできるよ、というように。

こうしたカルチャーは、ニューヨークのブロンクス地区を中心にしていました。このブロンクスという地区は、白人から圧迫され、差別され、経済的にも文化的にもひどい立場に追い込まれていた黒人たちが多く住んでいた地域なのです。そこには、いわゆる「まともな」人生を送れる見込みがほとんどないような状況に置かれた人々もいたわけです。抑圧された人たちが、その状況を端的に言葉にする。そこからラップは始まったといってもいいでしょう。だからそれを乗せる音楽も単調というか、あまり技巧に凝ったものではない。でもそれは、社会的現実にしっかりと根ざしていて、まさに圧迫された身体から思わず口を突いて出てくる、そういう言葉でありリズムなのです。

 

HIP-HOPのリアル

古賀
『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』という映画があります。みなさん、”50cent”というラッパー・・・ご存知ですか?知ってる人います?見たことありますか?この映画は、50centというラッパーがどういう人生を歩んできたかを扱った自伝的な映画です。

映画の冒頭は、いきなり強盗のシーンから始まります。50centは、いまでは世界的なラッパーなのですが、かつては強盗だった。この映画は、全編バイオレンスで満ち満ちています。銃で撃ち殺すとか、麻薬の売買をするとか。そうしないと生きていけないという壮絶な状況が描かれる。韓国人の店を襲って、仲間が撃たれて葬式して、マフィアの大ボスがいて上納金を絞られて、抗争があって銃弾を撃ち込まれて瀕死の状態で入院してとか・・・こんなのばっかり。

ラストはライブシーンですが、自分の経験を声にして単調なリズムに乗せて歌っています。そこには似たような境遇にいる人たちがいっぱい集まってくる。そしてそうした人たちの前で自分の経験を歌うと、みんな「そうだそうだ」となる。これが<クラブ>っていう文化なわけです。もちろん、HIP-HOPやR&Bはバイオレンスなものばかりではない。でもその背後には、抑圧された黒人の文化の伝統というものがある。アフリカから強制的に連れてこられて、奴隷として売られて使役される。こうした状況が、黒人霊歌とかブルース、ブルースにリズムをつけたR&B(リズム・アンド・ブルース)というように、現実と身体に根ざした多彩な音楽を生み出してきた。

 

安室奈美恵はジャネット・ジャクソンの物まね?

古賀
50centほどハードではないですが、ジャネット・ジャクソンのPVを見てみましょう。どうしてジャネットなのかというと、「安室が真似してる」とよく言われるからなんです(笑)。ただ、安室と決定的に異なることがあって、それは、ジャネット・ジャクソンは非常にポップなんですが、それでもやはり<現実>から切り離されていないということです。ジャネット・ジャクソンに「Got 'Til It's Gone」♪という曲があります。この曲は、カナダ出身の白人の女性歌手、ジョニー・ミッチェルの歌をリミックスするかたちでできています。そのPVは、見事に<クラブ>というものを描いているんですね。とても美しい作品なので見てみましょう。

このPVに描かれているのは、黒人差別やアパルトヘイトのイメージです。アパルトヘイトにおいては、黒人は身分証の携帯を義務づけられていて、それは人種差別の象徴だと見なされていました。ビデオの最後に映される建物には、「EUROPEANS ONLY SLEGS BLANKES」と書かれてあり、それに酒瓶が投げつけられて、ビデオは終わります。つまり、このPVの舞台は白人しか入れない建物なんです。まさにその建物に、解放された黒人たちが集まって楽しそうに過ごし、自分たちの黒人としてのプライドを高らかに歌い上げています。差別の場所を解放し、転換し、クラブとして再利用している。そういうPVです。白人の女性歌手の歌をリミックスしているというのも、そうした転換の意図があるのかもしれません。それに加えて、意図的に下着姿の男性や、公衆便所も描写されます。画面からでも、匂い立つような身体性や生活感が思わず立ち上ってくる、そうした「リアリティ」が演出されていますね。

それではジャネット・ジャクソンを真似ていると言われた安室の方はどうでしょうか。小室哲哉はコンピュータを使った打ち込み音楽で一世を風靡した人です。彼の音楽はリアルな身体性から遠く離れた記号的な浮遊するイメージで満たされている。バブルを象徴していたと言ってもいいでしょう。安室はそうした浮遊する記号性から離れて、地に足を着けた、何らかの「本物」で「リアル」な文化に憧れていたのかもしれません。これは単なる推測ですけど。ただ、少なくとも1990年代の日本にはアメリカやアフリカのような「リアル」な社会的現実は見いだしにくかった。それゆえ彼女なりに模索したのだと思います。そこで始めたのが、「SUITE CHIC」というプロジェクトです。このプロジェクトで、安室は日本のR&B、HIP-HOPの人達と一緒に音楽を始めました。これが安室の転機の一つになったと言われているんですね。

 

社会的現実のないシミュレーション

古賀
 

少し話は逸れますが、アメリカのR&BとかHIP-HOPでよく「リスペクト(尊敬)」って言葉が使われますよね。この言葉も社会的現実に根ざしているわけです。ギャングの世界、つまり強盗とか麻薬といった関係性においては、人が人を道具としてしか見ない。そのような関係しかない。貧困や差別においても事情は同じです。そういう状況の中では、「お前はいいやつだ」とリスペクトすること、肯定的な感覚を持ち合うことが、生きる上ですごく重要なことになるんですね。だから「お前は俺をリスペクトしているのか、それともしていないのか」ということが、繰り返し重要な話として出てくるわけなんです。抑圧されているがゆえにリスペクトが欲される。

ここで「SUITE CHIC」の代表作の一つである「GOOD LIFE」♪という曲のPVを見てみましょう。これはいわゆる<クラブ>の完全な猿真似なんですね。ジャネット・ジャクソンや50centsの曲に出てくるようなクラブに憧れて、それをシミュレートしているわけです。社会的現実のないところで<クラブ>という「かたち」だけをシミュレートしている。歌詞の内容もOLさんの話なんですよね。今日、みんなと会う約束があるんだけど、残業を命じられて・・・あわてて駆けつける、っていう自分の日常をR&Bのリズムにのせて歌う。なぜかみんなでリムジンに乗っていくんだけど、そこには社会的な抑圧の中でふだん軽んじられている人たちが集まってお互いを認め合うとか、肯定的な感覚を形成しあうとかいう必然性がないわけです。ただ遊びにきている。日本の現実を反映して、こういう形を取らざるをえないわけです。曲の最後で「こんなかんじ?」っていう、象徴的な言葉も入ります。そう、まさに「こんなかんじ」をやるしかない。

 これはつまり「シミュレーションのシミュレーション」なわけです。ここで安室は<R&B>への手がかりを掴むのだけど、当然ながら同時に表面的な猿真似という批判を浴びることになる。それに対して安室がどういう回答を示したかというと、最初は踊りの水準を高めたり、楽曲を洗練させたりと、彼女なりの「リアル」を模索したように感じられます。「SO CRAZY」♪を聴いてみましょう。アメリカの地下のガレージがイメージされています。さらにこの「ARARM」♪という曲のPVも、アンダーグラウンドな世界をファッショナブルにアレンジするという・・おそらく舞台は渋谷で・・というわけです。この頃の彼女のアルバム『STYLE』は、その何ともいえない行き詰まった暗さが反映されていて、一部には安室暗黒時代とも言われています。それだけに、熱狂的なファンも多いのです。そこに収録されている「Come」には、私も何度泣かされたことでしょう。ダンスミュージックなのに、真っ暗なところで一人で歌っている、そんな悲壮感あふれる曲です。

 

「QUEEN of “HIPPOP”」へ

古賀
このように、社会的現実のないところで、一曲毎のクオリティを必死になって追求していた安室は、あるときを境に開き直るんです。それは、2005年くらいの出来事だと思うんですけど、「WoWa」♪という曲を出す。PVの冒頭を見て下さい。ここで「QUEEN OF HIPHOP」のHを消して、そこにPを書き加えて「QUEEN OF HIPPOP」にする。自分は「pop」なんだと。そういう開き直りを宣言してしまう。この曲で安室はステレオタイプなイメージを再現するのです。アメリカンフットボールのチアガール、とりわけ西海岸のチアガールという完全に出来上がったイメージをシミュレートするんだ、と開き直っちゃう。

そう、安室は、こんな風に「pop」に舵を切るのです。「pop」に舵を切るということは、わが日本民族には身をもって表現すべき生活の「リアル」がないということなのです。つまりこれは、現実の「シミュレーション」ではなくて、「シミュレーションのシミュレーション」をするのだ、という宣言なんですね。「ああ、あれ知ってる」というようなチアガールのイメージをシミュレートして、「お!」と思わせる。そういう形で自分の「pop」な二次創作、三次創作の世界をやるのだ、というように決めたのでしょう。でも、これはこれで大変ですよね。ローラースケートをはいて、このように実際に踊るのは技術的に非常に難しいことだと思います。

 

キッチュなシミュレーション!?

古賀
それではここで言われている「pop」とは何か?もちろん「pop」は「popular (人気のある、大衆的)」の略語です。どういう意味があるのかというと「人々の」という意味なんです。ただしそこには、「有象無象」というニュアンスもある。教養と趣味と学識がある少数のインテリの世界に対して、「教養のない人たち」、「大衆」、「たくさんの人たち」という意味でポピュラーと言われるわけです。

ポピュラーミュージックは、クラシック音楽を対立軸にしています。クラシック音楽は本格音楽であり、楽譜が読めたり、音楽の歴史を知っていたり、そういう教養のある人たちが知的に聴くものだというイメージがある。これに対してポピュラーミュージックには、教養のない人達が、耳触りがいいとか、何となく楽しいとか、ワクワクするとか、旋律がきれいでうっとりする、という風に形で音楽を受容するというニュアンスがあるわけです。そういう意味では「ポピュラー」には「まがい物」いうニュアンス、本物に対して、偽物だというニュアンスがある。ドイツ語では、こういうまがいものを「キッチュ」と呼びます。

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例えば、キッチュとは反対の「まともな」「本格的な」小説や映画などで女性がどう描かれているかを考えてみましょう。そこでは、女優さんは劇の全体的な構造の中で演技をしている。そして、だけどちょっとした表情とか仕草とかに色気を感じてドキッとさせるように作られている。しかしそのお色気は、あくまで全体の筋を効果的に演出するためのものなのです。ところが「キッチュ」な小説や映画というのはそうではなくて、まさに人々をドキッとさせるようなもので全編が埋め尽くされている。それを極端に強化するとポルノになる。そうでなくてもある種のVシネマを想像してもらえればいいのですが、そこは全編これ見せ場やお色気のオンパレードだったり。お色気を見せるために、ありきたりの筋が付いているのです。つまり「教養」がなく、全体の筋を知的に見ることができない人たちの目を瞬間的に引き付けるために刺激を強化する。そういうものを「キッチュ」と呼ぶのです。

安室は「WoWa」を見てわかるように、突然、キッチュ路線を前面に出してきたように見えます。私が安室を好きだと言うと、「教養のある」人々から、“キッチュ好み”とか、“どうせミニスカートが好きなんでしょ”、と散々に冷笑される・・・そういう苦しい状況に追い込まれるわけです。「pop」というのは「popular」から「ular」を外したものだったのです。その限りでpopというのは「キッチュ・まがい物」という意味を持っています。しかしpopはポピュラーと全く同じではありません。両者は異なったものなのです。それはpopには、先ほどお話ししたように、「シミュレーションのシミュレーション」という意味があるからです。この後者の要素を強調するとき、「ポピュラー」は「ポップ」に転換すると思います。それでは前半を終わります。(「シミュラークルとしての安室奈美恵 Part.2」につづく)

 

「シミュラークルとしての安室奈美恵 Part.3

 

 

 

はじめの挨拶 司会:宮田智史(ドネルモ)

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アムラー

安室奈美恵を模倣したファッション、またそれを行う人物。1995年に現れ、1996年をピークに若い女性の間で流行した。ミニスカート・厚底ブーツ・ロングヘアに茶髪・剃り落とした後に描いた様な極端な細眉が特徴で、日焼けサロンなどで焼いた浅黒い肌も好まれた。

 

SUITE CHIC

日本のヒップホップ、R&Bアーティスト・プロデューサーとの安室奈美恵によるスペシャルプロジェクト。

 

著名な芸人の何某君

お笑い芸人ロンドンブーツ1号2号の田村淳のこと。昨年、安室奈美恵と交際していることが発覚した。

 

ジャン・ボードリヤール

ジャン・ボードリヤール(Jean Baudrillard, 1929年−2007年)はフランスの思想家。『消費社会の神話と構造』(La Société de Consommation 1970)は現代思想に大きな影響を与えた。ポストモダンの代表的な思想家とされる。

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印象派

ヨーロッパの絵画界を中心とした大きな芸術運動。19世紀末から20世紀初頭にかけて発生した。写実主義から抽象主義への変化の、初期段階であると考えられている。印象派の絵画はそれまでの写実主義の絵画に比べると、主題が強調される一方、写実性に乏しく、色彩の鮮やかな作品が多いのが特徴。

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キュビズム

20世紀初頭にパブロ・ピカソとジョルジュ・ブラックによって創始され、多くの追随者を生んだ現代美術の大きな動向。それまでの具象絵画が一つの視点に基づいて描かれていたのに対し、いろいろな角度から見た物の形を一つの画面に収め、ルネサンス以来の一点透視図法を否定したことで知られている。

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ポップアート

現代美術の芸術運動のひとつで、大量生産・大量消費社会をテーマとして表現する。雑誌や広告、漫画、報道写真などを素材として扱う。1950年代半ばのイギリスでアメリカ大衆文化の影響の下に誕生したが、1960年代にアメリカ合衆国でロイ・リキテンスタインとアンディ・ウォーホルなどのスター作家が現れ全盛期を迎え、世界的に影響を与えた。

 

フォード

1903年に創業したアメリカ合衆国ミシガン州ディアボーン(デトロイトの近郊都市)に本社を置く自動車メーカー。フォードは自動車の大量生産工程、および工業における大規模マネジメント(科学的管理法)を取り入れたことで20世紀の産業史・経営史に特筆される。特に1913年、組み立て工程にベルトコンベアを導入し流れ作業を実現した。大量の自動車を早く生産できる高効率の工場設備、士気を高める高給料の工員、一台当たりの生産コストの革新的な低減を組み合わせたフォード生産方式は「フォーディズム」の名で世界的に知られるようになった。

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ゼネラルモーターズ

アメリカ合衆国ミシガン州デトロイトに本社を置く企業。

 

ユーロビート

主に電子楽器を使用したダンス・ミュージックの一種である。

 

ブレイクダンス

1970年代にニューヨークのサウスブロンクス地区のアフリカ系アメリカ人やラテンアメリカ人の若者達によって発展したストリートダンスのスタイル。ギャングが抗争をまとめる為に銃撃戦の代わりブレイクダンスのバトルを用い、発展に繋がったと言われている。

 

 

現実とシミュレーション

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グラフィティ

スプレーやフェルトペンなどを使い、壁などに描かれた絵・文字。1970年代にニューヨークで、スプレーやフェルトペンなどを使い壁や電車などに落書きをすることから始まった。1980年代に入ってから、ごく少数のグラフィティ行為者が前衛芸術家として持て囃されるようになった。

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「COPY THAT」安室奈美恵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『ゲット・リッチ・オア・ダイ・トライン』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Got 'Til It's Gone 」ジャネット・ジャクソン

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「GOODLIFE」SUITE CHIC

「So crazy」安室奈美恵

「ararm」安室奈美恵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「Wowa」安室奈美恵

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

会場の風景

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10/04/12 08:15 | コメント(2) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Buzzurlへ追加このエントリーのBuzzurlブックマーク数 livedoorクリップへ追加このエントリーのlivedoorクリップ数 Yahoo!ブックマークへ追加人が登録 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafへ追加 ニフティクリップへ追加 add to del.icio.us add to Digg add to Reddit

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コメント(2)

古賀先生
安室奈美恵の15年来のファンのものです。
この講演のことは、管理しているmixiのコミュニティでお知らせいただいていたのですが、行けずにおり大変残念でした。
しかし、ブログにアップしていただき大変感謝しています。

安室奈美恵さんの、歌手としてのこれまでの取り組みを学術的に見ると、こうも納得がいくものかと感じました。
私自身は、常に自分の指針にのっとって、それが受け入れられるかられないかに関わらず新しいものに挑戦する彼女の姿勢が大好きで、小室さん時代からR&B路線に転向した時点で、彼女はアムラー以上のレベルに足を踏み入れたのだと思いました。
そして、alarmは発売された時、彼女の楽曲の中ではオリコンのランキングがふるわない方だったと記憶していますが、確実に日本人としてというか、沖縄出身としてというか、一番近いのは安室奈美恵という存在体として、自分の音楽にしてきていると感じました。でもまだ過程だったので、やはり模倣色が表には出ていたのでしょうか。
HipHopをHipPopとしたときは、ご解説のように、ほかでもない安室奈美恵という音楽ジャンルをつくったのだろうなあという気がしました。そして、Play→Best Fictionへ。
本当に興味深く拝見させていただきました。
Part2も楽しみにしております。
ありがとうございました。

Aki様 
お返事大変遅くなり、申し訳ございません。安室奈美恵のファンの方とはじめてお会いできて感激しております。今回の私の講演は「学術」といったたいそうなものではなく、お話しと申しますかお遊びと申しますか、Best FictionないしはPlayとして受け取っていただければ幸いです。

alarmは大好きで、自動車の中で狂ったように聞いていた覚えがあります。「模倣」こそ、安室の本質であり、それこそがたまらない彼女の創造性と魅力の本質なのだ、というのが講演の趣旨です。

今年のツアーには参戦されますか?私は事情で行けないので、是非、ご感想などお聞きしたいです。
どこかでお会いできますよう。

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