« オラファー・エリアソン ... | ドネルモ.func(1)... »

神楽舞う、その手が触れるもの ――高祖神楽 ドネルモ・ヒストリエ エッセイ編②


Text:ゆうなん、ささき

JR周船寺駅からバスに乗ること20分、さらに10分ほど山をのぼる。その先に見えてきたのは古くからこの土地を守ってきたことが一目でわかる堂々とした佇まいの神社だ。

怡土郡の惣社、高祖神社

4月26日、月曜日。僕らは春の祈念祭で奉納されるという神楽を見に高祖(タカス)神社を訪れた。高祖神社は旧前原市 の高祖山の麓にある神社で、説明書きによると「古代から怡土郡の惣社と崇敬される神社で…」とある。この「怡土」は「タイド」ではなく「イト」と読む。伊都、糸島の「イト」だ。「怡」とは「よろこぶ」という意味だそうだ。糸島は古代遺跡が多く発掘されている地域であるが、時代は8世紀、奈良時代に「怡土城」という山城があったらしい。『続日本紀』によると、そのときの築城責任者は当時大宰府の長官であった吉備真備である。 さらに、後にこの高祖山は戦国時代に糸島を支配していた原田氏が「高祖城」を築き、豊臣秀吉に滅ぼされるまで拠点とされていたのだという。『続日本紀』、吉備真備、豊臣秀吉と、誰もが聞いたことあるような単語のオンパレード!ううむ、僕らはなんだかものすごいところにいるようなのである。

高祖神楽

神社は「杜」という言葉がしっくりくるような青々とした木々に囲まれていた。石段、鳥居、社殿、どこをみても歴史がしっかりと染み込んでいるようだ。その中でも最も目を引くのが立派な神楽殿である。高祖神社では毎年4月26日と10月25日に神楽が奉納される。この神楽は一説には今から五百数十年前の戦国動乱の時代に京都で学んだ能神楽を郷土に伝えたものであるとされている。古くは神職によって舞われていたが、明治の神仏分離令を受け、氏子衆によって神楽が奉納されるようになった。昭和56年には福岡県無形民俗文化財に指定されている。堂々とした風格のある神楽殿は、文化財としての保護を受け、平成元年に新しく建てられたものである。

境内は平日にも関わらず、多くの人で賑わっていた。用意された椅子に座るだけでなく、ビニールシートを広げてピクニック気分の家族、お祭りオタクであろう大きなカメラを構えた男性、石段に座り込んでお茶を飲む老夫婦。僕らもその中に紛れ込んで、神楽を見物する。最初は静かな動きで笹や鈴を手に舞う舞神楽「神供」「高処」「笹舞」が演じられる。販売されていた『高祖神楽鑑賞の栞』を片手に「ふうむ」などと、しばらくは知ったような顔をして見ていたが、次の「国平」から始まる神話のストーリーを演じる面神楽が始まると様子が変わってきた。つまり、ムズカシイことは知らなくても、なんだか単純に神楽が面白いのだ。

kagura1_1.jpg

高祖神社 左手に見えるのが神楽殿

 

高祖神社

創建年は不明だが、神功皇后によって建てられたとされる。祭神は彦火々出見尊、玉依姫命、息長足比女命。 

旧前原市

2010年1月1日に前原市・志摩町・二丈町が合併し糸島市が発足した。

吉備真備

遣唐使の一人として唐に留学。橘諸兄の下で政(まつりごと)に関わるが、その後九州に左遷され大宰府の長官を務めた。

----- clear -----

オモシロイ神楽

「国平」では大国主命の国譲り神話を演じる。細かいストーリーはがさっと割愛する。なぜならここで高祖神楽を見ている人の8割方は、確実にこのストーリーを知らない。はるか昔、神職によって演じられていた時は物語そのものも意味があったであろうが、現在の地元の「観客」にとっては、この主人公である事代主がいかに面白い動きをするかのほうが、よっぽど重要だ。ここの神楽で面白いのは、この事代主が“鯛釣り恵比寿さま”とされているところである。恵比寿さまは無事に国を譲ってしまうと、「煩わしい交渉は終わったぜ」と言わんばかりに釣り竿を手に取り、釣りを始めるのである。この釣り竿の先に氏子が奉納した本物の大きな鯛から、金一封、お菓子の詰め合わせに至るまでが括りつけられ、恵比寿さまはそれを釣り上げる。一升瓶を釣り上げる姿などはもはや滑稽以外の何物でもない。次の「敷蒔」では生米が入った折敷というお盆のような容器を手に男性が出てきたかと思うと、その場でぐるぐるぐると回りだす。その間、米粒が全然こぼれないのだ。思わず「おおー」と唸ってしまう。

 

 kagura2.jpg

「国平」より 鯛を釣る事代主

----- clear ----

観客が演じる神楽

現在高祖神楽を伝承・保護しているのは高祖神楽保存会である。終戦後は神楽を舞う人間も5人にまで減って存続すら危ぶまれたが、現在では保存会によって番組が演じられるだけでなく、若い世代への神楽の継承がなされている。それも、この大舞台で神楽の奉納のかなりの部分を子どもたちにも演じさせる。小学校の男子生徒による「両剣」、柔らかな身のこなしと動きが不思議な空間を作り上げていた女の子たちによる「創作演舞」、相撲の起源とも言われる激しい神代の大相撲「神相撲」も男の子が立派に演じていた。何よりも、ささきとゆうなんが大興奮して、思わず「生きててよかった…!!」とつぶやいてしまうほど可愛かった幼稚園の女の子による「稚児」がすごかったのだ。彼女たちは決して可愛いだけではなく、動きにも非常にキレがあり、幼いながらも学芸会の発表ではなく、神楽を演じているのだと感じさせられた。

子どもたちが真剣に演じる姿は、よそから来た僕らも見入ってしまうものだったが、僕らなんかより本気で応援し、見入っている人たちがいた。もちろん、子どもたちのお母さんやお父さん、おじいちゃん・おばあちゃんだ。「ほら、お姉ちゃんが頑張ってるよ!」と小さな娘に声をかけながら見ているお母さんの言葉からも分かるように、彼らは観客でありながら、同時に神楽の担い手でもある。これは高祖に住む彼らの神楽だ。そう思うと神社の空間がふっと広くなった気がする。神楽殿が舞台で、それを見ているのが観客ではない。この神社全体が彼らの神楽の舞台であり、僕らが観客だと思っていたのは、それぞれの形で神楽を作り上げている高祖神社の氏子たちなのだ。

 

kagura3.jpg

「稚児」より 幼いながらも優美な舞い

----- clear ----- 

神さまの縁をいただく

それが終わると、次に出てきた神さまが神楽殿を突然飛び出し、石段を上って本殿へ走っていく。そこからまた神楽殿へ降りつつ人々の頭を撫でていく。なんだか連行されているみたいだが、それだけ神さまの御神徳にあずかろうと、人が集まってきているのだ。神さまとはいえ恐ろしい顔をしているのに、遊園地の人気キャラクターのように見えてくるので不思議だ。

それから盛大に餅まきが行われる。もちろんみんなわらわらと神楽殿の周りに集まって「こっちに投げてー」と手を振り上げて叫ぶ。次に演じられた「蟇目」でも、神楽殿から放たれる矢を取ろうと人々が大騒ぎする。子どもはもちろん、ご年配の方も本気そのものである。みんなそんなに餅を食べたいわけでも、簡素な作りの矢が欲しいわけでもない。他ならぬ神さまがくれるから欲しいのだ。

 

 kagura4.jpg

神さまを取り囲む高祖の人びと

----- clear ---

神さまとの距離

今まではデパートや太宰府等の特設会場で、パフォーマンスとして神楽を見ることが多かった。そういうときは衣装の美しさ、面のおぞましさ、舞のキレ、といったビジュアル面ばかりが気になる。ところが今回のように地元の神社で、地元の氏子によって支えられている神楽というのは、ずいぶん様子が違って見えた。正直今まで見てきた神楽は難しく、お堅い。まあ神事なのだから当たり前なのだが、少なくとも僕らはそれを有り難く真面目な顔をして見ないといけなかった。しかし地元の氏子によって奉納される高祖神楽のような神楽は、ときに真剣でときに滑稽で、思わず「すごい!」「かわいい!」なんて口に出してしまうのだ。そして、こんな神楽の方が、どことなく人びとと神さまとの距離が近い気にさえ、させられるのである。

 

----- clear -----

 


10/04/30 11:53 | コメント(0) | トラックバック(0) このエントリーを含むはてなブックマークこのエントリーのはてなブックマーク数 Buzzurlへ追加このエントリーのBuzzurlブックマーク数 livedoorクリップへ追加このエントリーのlivedoorクリップ数 Yahoo!ブックマークへ追加人が登録 POOKMARK Airlinesへ追加 Saafへ追加 ニフティクリップへ追加 add to del.icio.us add to Digg add to Reddit

« オラファー・エリアソン ... | ドネルモ.func(1)... »

関連記事

| ドネルモ・ヒストリエ 第弐話 筥崎宮のおひざもと Part.2 | ドネルモ・ヒストリエ 第弐話 筥崎宮のおひざもと Part.1 | [10.05.01]ドネルモ・ヒストリエ第弐話《筥崎宮のおひざもと》 | ドネルモ・ヒストリエ 第壱話 福岡大仏と地獄・極楽めぐり@東長寺Part2 | ドネルモ・ヒストリエ 第壱話 福岡大仏と地獄・極楽めぐり@東長寺 Part1 | [10.02.21] ドネルモ・ヒストリエ 第壱話 「東長寺と地獄巡り」 |


トラックバック(0)

トラックバックURL: http://donnerlemot.com/mt/mt-tb.cgi/676

コメントする