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ドネルモ.func(1)「『1Q84』から読む建築」(講師:土居義岳)レポートPart2


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テキスト・構成:笹野正和

(2010年1月29日、福岡市南区大橋・ルネット)

休憩をはさんで、後半は参加者らからの質問と土居さんの応答という形式で行われました。そのいくつかをピックアップして、『1Q84』を巡る様々な分野からのテーマや話題を、皆さんにもお伝えできれば、と思います。

特に後半の質疑では、フィクション(虚構)を物語ることとトラディション(伝統)が生み出されることのつながりを巡って、参加者と土居さんの間で熱のこもった対話が交わされました。

 

良い虚構/悪い虚構

まず会場から、1970年代の伝統的価値観や共同体から切断され、空虚(無)になった状況に対する、人々の反応について質問がありました。そこでは、人々は寄りかかるべき何の実体性(自然性)も無いために、その空虚感を埋めようとして記号(代替)的商品の消費に走った。あるいは、信ずべき実体性を求めてカルトに走ったのではないか、と問われました。つまり、人は実体性が全く無い状態に耐えられず、アイデンティティのために何らかの虚構(人工物)に寄りかからざるを得ない、とも言えるでしょう。

 

これに対して土居さんは、人間が何かしらの虚構の中で生きていることを確認されました。そのうえで、「良い虚構」と「悪い虚構」という言い方で、虚構を2種類に分けられます。ただし、それは非常に微妙な差異で、時と場合によって、突然悪い方向にいったり、良い方向に変わったりする、と言われました。これは、常に良い/悪い虚構であり続けるものはなく、状況が変わるにつれ、同じ組織・メンバーの中でも変質していく、ということでしょう。例えば、かつて経済成長の物語は無条件に善とされていましたが、現在では経済成長とは異なる価値(コミュニティやエコなど)をを妨害するものとして、時に悪いものとして語られたりします。

そのように善悪が限りなく交じりあった「入れ子構造」の中で、どのようなモラル・倫理を身につけていくかが課題になるだろう、と土居さんは答えられました。

リトルアーキテクチャとメガ建築

次に取り上げるのは、ジョージ・オーウェルの『1984』との関係・相違点を巡る対話です。質問によると、1948年に書かれた『1984』では、「ビッグブラザー」というかつての旧ソ連社会を彷彿とさせる巨大な権力・敵とどう戦うかが問題になっていました。しかし、特に最近の村上作品では、そういう巨大な敵は存在しないのに、もっと小さくて得体の知れない「空虚なもの」に強く影響される構成になっている、とされます。例えば『1Q84』においても、「リトルピープル」という小人・小さな存在が物語を駆動させる大きな謎になっている、と言えます。そうした状況に対処しようとする時、建築ではどういう形になるのか、という質問でした。

土居さんは、そのように名指しできないけれど、人々の思考・行動を左右するような存在を巧みに描写することが小説の醍醐味だと言われました。そのうえで、建築においても、巨大権力的建築と小さな建築の奇妙な併存が20世紀にはあった、とされます。

一方で20世紀は、宮殿や教会などの巨大建築や様式ではなく、普通の庶民(大衆)のための住宅をいかにデザインするかが重視される時代でした。お話では「最小限住宅」が例にあげられて、「リトルピープルのためのリトルアーキテクチャ」が目指されるようになったとされます。他方、時の権力者や国家はアメリカのリンカーン・メモリアルやナチスの「ゲルマニア」計画のように、古代の建築様式を異常に肥大化させたメガ建築と言えるものを構想します。一方では徹底的に大衆の生活に根差すリトルアーキテクチャ、一方ではそれに反比例するように空想的・虚構的なメガ建築という、いびつな二極化が20世紀建築だったと言えそうです。

口承文化の復活?-フィクション(虚構)とトラディション(伝統)の秘かなつながり

最後に、現代の小説である『1Q84』と、近代以前から受け継がれてきた口伝による文化(口承文化)との関連性が、会場から指摘されました。それは虚構(物語)と伝統(伝承)という、一見無縁なもの同士の深いつながりを浮き上がらせたように思います。

まず、作中に出てくる「ふかえり」という少女は、ディスレクシア(読字障害)で、テキストが読めません。つまり近代以降に普遍化した、テキストを用いた記述・伝達ができないのです。その代わり、彼女は友人に口頭で物語を語って、文字化してもらう。それをさらに、天吾がきちんとした小説に書き直す。ここには、フィクション(物語)が口承(口伝え)によって紡ぎ出されている、という構図があります。そして「トラディション(伝統)」という言葉には、もともと「口承」の意味があります。こうして、フィクションがトラディションと不可分の関係にあるのではないか、と指摘されました。そして、この口承的なものの復活とともに、かつての呪術的なものが蘇ってきて、大きな力を与えているのでは、と問いかけられました。

これを筆者なりの理解で言い換えてみます。ヨーロッパの近代(デカルト以後)の人々は、文字(テキスト)によって世界を理性的に記述・理解しようとした。そこでは、声によって直接語りかけられ、相手からの強い影響を受ける口承的・呪術的文化から一旦身を引き離し、理性的・客観的に世界や他者を理解しようとする。

ところが『1Q84』のような現代小説では、そのテキストの中にも、実は口承(トラディション)的な要素が入り込んできて、非常に影響力のある虚構(フィクション)を構築している。テキストだけに頼って、ひたすら理性的に世界を理解するのではなく、聴覚や触覚といった身体的な次元に身を浸しつつ、世界や他者と関わり合っていくことは、現代においてはむしろ当たり前のことでしょう。というのも、私たちはテレビやラジオ、劇場といった様々なメディア環境に浸っていて、それらの中で生み出されるフィクションに否応なく影響されながら、文化を引き継いでいるからです。

「トラディション」という言葉は、もともと「引き渡す」という意味だそうです。その古い世代から新しい世代への引き渡しの中で、そのつどの状況・メディア環境によって、新しいバージョンのフィクション(物語)へとトラディション(伝統)が接続されていく。同じものの反復ではなくて、古いものの伝承と虚構的に改変することが同時並行的に起きる場、それが現代と言えるでしょう。

土居さんもまた、こうした伝統と虚構の相関関係について、大いに賛同されました。そして、そのように伝統が虚構の中で蘇り、引き継がれる構図を(積極的に)取り入れて、育てようとしているのが、村上春樹の作品だと続けられました。

さらに土居さんは、村上作品、特にその短編集には、神話や童話のような側面があり、物語に解釈の余地を残すような、一種の「澱(おり)」が読者の心に残される、という風に言われました。そのように、作品の表に見えるストーリーの背後に、別の「メタストーリー」を予感させ、読者の間でメタストーリーを生み出させる力が村上作品にはあるそうです。

そうした作品のあり方を聞いて、筆者の頭に浮かんだのは、TVアニメ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)を巡るサブカルチャー文化の運動でした。そこで何が起こったかと言えば、本編で膨大な謎や設定が散りばめられた結果、様々なメタストーリーがファンたちの間で生み出されたのです。それは読者(受け手)を積極的に物語に関わらせることで、形を変えつつ一つの巨大な伝承として語り継がれるという、神話的・童話的戦略を見事に体現した、といえるでしょう。

増殖する物語

土居さんご自身は、こうしたメタストーリーを生み出す物語として、「ハーメルンの笛吹き男」伝説を例に出されました。この物語の元になったのは、奇しくも『1Q84』に先立つ700年前のドイツで起こった少年少女大量失踪事件だそうです。そして1970年代に、阿部謹也という西洋史家が、この物語について非常に面白い本を書いた、ということです。

ここで興味深いのは、このように古い物語について、多くの研究者から様々な解釈が提出され、現代においても物語のメタストーリーが紡ぎだされている、という点だと思います。ある一つの物語(ストーリー)がきっかけになって、膨大なメタストーリーが展開していく。そういう「メタストーリー生成能力」のある作品こそが、長い生命を持つことになるのだ、と土居さんは言われました。

おそらく『1Q84』を含めた村上春樹の作品たちもまた、作品単体の魅力というものを超えて、後世にわたり無数の解釈・メタストーリーを生む、生成能力を備えたものと言えるでしょう。それは後になって、もはや真偽や明確な事実関係も分からないくらい曖昧になっていく。でも、だからこそ物語の背景を巡って、無数の解釈・メタストーリーが生み出されていく。

そうやって虚構(フィクション)であるはずの物語が、さらなるフィクションを呼び、いつの間にか伝統(トラディション)となって、後代の人々に引き継がれていく。そうした伝播(でんぱ)力を持った物語は、時に「伝承」あるいは「伝説」と名指されます。そういうわけで村上作品は、すでに現代における伝説になりつつある、とも言えるかも知れません。

 

以上、土居さんと参加者の方々との多岐にわたる対話の模様をお伝えいたしました。今後も、今回のような知のクロスオーバーが連鎖反応的に生じることを、筆者も楽しみにしております。

 

(終わり)

 

 

 

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質疑応答の模様

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

最小限住宅

「最小限住居」とも。第一次大戦後のドイツで構想され、日本では特に戦後の住宅難の時期に、一般市民の最小限の生活機能を提供するために注目された。増沢洵が1952年に建てた自邸が有名。同住宅はわずか15坪(50㎡)の建物に、食堂・寝室・書斎・風呂などの現代住宅の機能を盛り込み、経済性と現代生活の快適さを両立させている。

 

リンカーン・メモリアル

1922年に完成したワシントンD.C.にある記念建造物。19世紀のアメリカ第16代大統領、エイブラハム・リンカーンを記念して建てられ、様々な歴史的事件・演説の舞台となった。古代ギリシャのドーリア様式を模して造られ、古典性・歴史性を感じさせるようになっている。

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リンカーン・メモリアル

 

「ゲルマニア」計画

1930年代にアドルフ・ヒトラーが構想したベルリン都市改造計画。世界に冠たる大都市を目指して、官庁や議事堂、駅や空港を含む一大構想だったが、第二次大戦の勃発により、一部を除いて計画が中止された。計画では、近代的な設備を備えた巨大な建築物群に、古代ギリシャ・ローマを思わせる古典的な外観が施されることになっていた。その一端は、現存するベルリン・オリンピアシュタディオンに見られる。

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「ゲルマニア」計画、フォルクスハレの模型

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ベルリン・オリンピアシュタディオン

 

 

デカルト

17世紀に活躍したフランス生まれの哲学者(1596~1650)。既存の学問や宗教、伝統などをすべて疑い、考える自我の存在を明確に主張した。世間や他人の意見に流されず、自分の理性によって「明晰かつ判明」に理解した事柄のみを、真理として受け入れるよう説いた。それに関連して、物事をできるだけ細かく分析して、その後で個々の要素を一つずつ関係づけるという、テキスト的・論理的な方法を強く支持した。その論理的方法が西洋近代の世界観の一つのモデルになっている。「コギト・エルゴ・スム(私は考える、それゆえに私は存在する)」という命題が有名。

 


『新世紀エヴァンゲリオン』

1995年にテレビ東京系で放送されたSFロボットアニメ(全26話)。シリーズ前半は、正統派ロボットアニメを洗練させたように、多くのメカや兵器、謎の組織などの設定が既存のオタクを中心に人気を博した。しかし後半に入ると、次第にキャラクターの内面描写が多くなり、それが新たに哲学・心理学的に作品を受容するファンを急増させた。その社会的影響・広がりは1997年の劇場版2作品を経て拡大し、2007年には新劇場版第1作『序』、2009年には第2作『破』が公開された。今後第3作『Q』が公開される予定。

ハーメルンの笛吹き男

ドイツの伝説。1284年にハーメルンで、130人の少年少女が笛を吹く男によって連れ去られ、行方不明になったとされる。19世紀にグリム兄弟が編纂した伝説集で取り上げられて以来、世界中で知られる物語となった。その原因・背景を巡っては、自然災害・戦争・外国への移住など、古来より様々な説が唱えられてきた。本文中に出てくる阿部謹也の著作は『ハーメルンの笛吹き男』(ちくま文庫、1988年)で、この物語を糸口にして、中世ドイツの世相・生活・社会・出来事などを詳説している。


 

 

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