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ドネルモ・ヒストリエ 第弐話 筥崎宮のおひざもと Part.1 |
写真:佐々木まどか、牛島光
構成:池田悠南
ゴールデンウィークのまっただなか!5月1日にドネルモ・ヒストリエ第弐話「筥崎宮のおひざもと」が開催されました!!
ドネルモ・ヒストリエとは福岡の寺社系文化リサーチ&ツアープロジェクトです。普段の生活では、知ることのできないような福岡の姿を発見し、紹介することを主題としています。ヒストリエ第壱話に続き、今回も良い天気に恵まれました!
今回は、コーディネータの池田も思い入れが深い箱崎が舞台です。
集合場所はお宮の参道。木々の緑もすごくきらきらしてました。

今回の参加者の中には箱崎に住んでいる方もちらほらいて、ますます楽しみです。それでは普段はなかなか見る事のない町の顔を見に、いざ出発!
実は、目の前には筥崎宮がもう見えていますが、池田がどうしても案内したいということで、まずは馬出方面へ。なにがあるんだ、と言いながら大きな市営住宅の下に向かいます。

最初のスポットはこちら。翁別(おきなわけ)神社です。ここは一カ所だけでもたくさんの伝説が残っています!西暦200年頃の神功皇后と武内宿弥(たけのうちのすくね)の伝説、870年頃の麗しい女性「十六宵(いざよい)」の伝説、それからなんと言っても、あの陰陽師・安倍晴明の伝説が残っているんです!
それが現在も水が出る、この「鏡の井」と言われる井戸にまつわるお話です。

現在はポンプになっていますが、ポンプで水を出すのもなかなか無い経験。みんな一通り水を出して楽しみました。
十六宵が7歳のときに水が湧き出して以来、十六宵は毎日この水で身だしなみを整えていたそうです。その後13歳の頃に、十六宵はその美しさが故に宮廷にお仕えすることになります。彼女が都に上るとなぜか清水はすっかり枯れてしまいました。
その頃、唐に留学していた安倍晴明が帰朝します。帰途、鏡の井を訪ねてみるも、この清水のことは近くに住む人びとの記憶からすっかり風化してしまっていました。そこで安倍晴明が呪文を唱えながら持っていた杖を空中に放ると、杖は白龍となり大地にくだりました。すると、大地は鳴動して清水が空高く噴出しました。この時から、この井戸は枯れることがなくなり、名水と伝えられたといいます。
まさかの安倍晴明!にわかには信じられないような伝説が出てきました。しかもこの井戸にはまだ謂れがあります。この井戸がすばらしい水であるということで、豊臣秀吉と千利休が箱崎でお茶会を催したとき、この水を汲んで茶をたてたと言われているそうです。
なぜここで秀吉が出てくるの!?歴史の教科書で習ったはずのことも、簡単には足元の歴史には結び付きません。
簡単に豊臣秀吉と箱崎の関わりを話しますと、時は天正15(1587)年。島津氏を討伐するために九州に下っていた秀吉は、戦に勝利すると20日ほど筥崎宮に陣を置きました。そのときに行ったのが博多町割り。町割りというのは今でいう区画整理のことですね。現在、祇園山笠でいう「流」というのは、この時の名残りです。奈良屋町の博多小学校の隣には秀吉を祭る豊国神社があります。大戦で焼けてしまうまで、このとき秀吉が町割りの基準として使った杖が残っていたらしいです。ちなみに島津氏との戦で荒廃した博多の町の瓦礫を使っているのが、前回のヒストリエでも紹介した博多塀なんです。
さてさて、ちょっと文章ばっかりになっちゃいました。次の目的地はこちら。

道具山神社、という神社です。筥崎宮の境外末社の1つです。道具山?変わった名前ですが、はっきりしたことはわかっていません。先ほども出てきた神功皇后の三韓征伐のときに用いた道具を置いていたという説もあるようです。

中にはなんだか大きな石がいっぱい!「猿田彦神社」と書かれてます。さるたひこ…、これも前回のヒストリエでご紹介した猿のお面のお話で出てきた神社ですね。あれは早良区の猿田彦神社でしたが、同じく猿田彦信仰としてこの石が祀られています。猿田彦信仰は庚申(こうしん)信仰とも言われます。庚申とは十二支のカノエ、サルの組み合わせになる日のことを言います。人の体の中には三尸(さんし)という虫が住んでいます。この三匹の虫が庚申の日になると人間が働いている悪事を閻魔大王に告げ口しに天に昇ります。ところが人が起きている間は三尸は人の体を抜け出せません。ということで、それを口実に(!?)みんなで集まり一晩中集まって宴会やおしゃべりをする庚申講という行事があったそうです。「庚申」「猿田彦神社」と刻まれた石碑はたくさん箱崎あたりで見られるので、みなさんも探してみてください!箱崎でもおそらくそういった集まりが行われていたのでしょう。
さて、道具山神社を出て狭い道を通って筥崎宮前まで。この道もあなどるなかれ、参勤交代のときに大名行列が通っていた道なんです!この道は唐津街道で、箱崎辺りは箱崎宿があったそうです。唐津からきて、姪浜を通り、箱崎を経由し、北九州の若松までずうっと通っています。福岡では、今の大濠公園にあった福岡城から筥崎宮まで大名行列は正装で進み、箱崎で軽装に着替えて都を目指したと言われています。ううむ、僕らは普段参勤交代の道を自転車で通ったりしてるんですねえ。なんとなくちょっと出かけるにも気合いが入りそうな話です。

さて、一行は今回の目玉である筥崎宮へ。さすがに筥崎宮が初めてという方はいないようで、秋の大祭、放生会(ほうじょうや)なんかで来たことがある方も多いようです。

まずお宮で目を引くのがこの扇額。「敵国降伏」と大きく書かれたこの文字。正直これを最初に見たときは「すげえところに来ちまったなあ…」と思ったものです。これは文永11(1274)年に元寇があった際、亀山上皇がおさめられたものだそうです。亀山上皇といえば、東公園に大きな銅像があるので有名ですね。じつは!銅像にはモデルになった木像があったようなのです。長らく行方がわからなくなっていたのですが、数奇な運命をたどり東京で発見され、九州国立博物館で修復のち筥崎宮に帰ってくることになりました。平成23(2011)年に奉安殿も完成予定で、私たちも像を目にすることができるようになるそうです。また楽しみが増えましたねえ。
筥崎宮の境内には他にも元寇にまつわるものが。それがこちら。

蒙古軍の船の碇(いかり)に使われたという石です。ほ、ほんもの!?教科書の「てつはう」の絵で覚えている人も多いと思われる元寇の蒙古軍です。さらにその奥には明治に作られたという元寇の歌もあります。
それからお宮の裏手に回ると…

たくさんのわらじ!!末社の1つ、池島殿です。池島殿は手足の守り神として信仰され、健康・病気平癒を祈念してわらじをお供えする風習があるそうです。池島殿の大祭は毎年6月の第4日曜日に行われているそうですよ。

さて、これで最初のメインスポット筥崎宮は一応ぐるっと見て回りました。しかし実は当日も、このレポートでも取り上げられなかった面白い話が筥崎宮にはたくさんあります!僕らが知っている名前もどんどんでてきて、なんだか凄すぎて何でもありなんじゃないかと思ってしまうほど。ぜひぜひお時間があるときはゆっくり歩いてみてください!
さてさて、Part1はここまで!続編のPart2では筥崎宮と縁深いお寺さんを御訪問します!そこでヒストリエ御一行が見たものとは…!!まさかの嬉しいハプニングで案内役のゆうなんも大興奮でした!ではではPart2をお楽しみに!
(※今回、筥崎宮さんには写真撮影許可及びWeb掲載許可を得ています。本当にありがとうございました。)
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